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さて、私がこうして哲学だとか芸術だとか、こういう人間に興味の目を向けたのはいつからだったかな。とふと思ったのでちょっと書いて見ようと思う。IMERUATのBlack Ocean 聞いてたら急に文章を書きたくなってしまって、私にとっての創作意欲って文章なのかな。

 はっきり覚えている私のはじめての哲学的問いは小学三年生の時、英会話を習い始めてすぐのことだった。<It is a dog.>この文に私は吐き気を覚えた。いや、それは誇張かもしれないが、ただ本当に気持ちが悪くなって軽い頭痛のようなものを感じたのは確かだ。彼(私)は田舎の生まれではないが、幼い頃からかなり強く生き物に興味を持っていたらしい。生き物、とは昆虫、鳥、両生類、魚……にとどまらず植物、キノコ類も含め、そして彼はいつの頃からかこの並びの中に人間を同列に意識していたようだ。
 そしてIt is a dog.と出会った。She is a girl.なのになぜ犬はIt? 全く理解できず先生にそれを質問し、困らせた。私はこの時「何故人間は自分ばっかり特別視するのか?」「生き物ならみんな同等だろう」という想いを初めて明晰に抱いたのだ。以後、私はむしろ人間を嫌いになったように思われる。ちょうど地球温暖化に関しての報道も過熱し、また核エネルギーの恐ろしさを自由研究でまとめたその年に9.11テロが起きた。そういう人間の愚かな面を印象付ける出来事が私を囲い、そうさせたのだろう。同様の理由で私は宗教も嫌った。身勝手で、ありもしない神を信じ、人間を特別高等なものとして扱う。高校一年のある瞬間まで、私は人間も動物も物も等しくみることができると感じていた理数系の分野に非常に魅かれていた。
 “ある瞬間”は突然訪れた。小学生からの友人で、私と同じく部活動に所属していなかったのでいつも一緒に帰っていたAが、ある日突然「明日昼飯を一緒に食べよう」とメールをしてきた。私は友人がいないわけではないが、あまり一緒に遊ぶことはなかったので、昼飯をどこか外で一緒に食べるということが初めてで、いささか興奮した。約束の時間にその場所へ行くと、Aはすでに先に付いていて、また私の知らない人間が隣に座っているのが分かった。年上という印象を受けた。私は自称人見知り――自称というのは他人からは人見知りと言われないため――で、また3人の集まりがとても苦手だったので、正直少し残念に思い、そして幾らか緊張した。奥まったところにある小さい机を私が壁側、Aともう一人は非壁側という構図で座った。
 最初はなんてことのない話しをしていたが、私は相手が何か別の狙いがあるのだろうと、すぐに感じ始めていた。理由は定かではない。ただ相手の特にAが連れて来たやつが不自然だった。よくある会話の途切れ、ハハハという愛想笑い、沈黙。Aは突然、しかしそこしかないというタイミングで口を開いた。
 「ブッポー、って知ってる?」
 「いや」
 聞きなれない言葉だったが、私はすぐにそれが宗教だと直感した。Aは小学生のころから、修学旅行などで突然消えることがあって、その時は決まって寺やら何やらの施設を訪れる時であった。そのことが突然、頭の中に湧きあがってハッとしたのだ。Aは何か言いながら本を出して私に見せた。やはり宗教だった(一応検索に引っ掛からないよう伏せるが日蓮宗系のブッポーである)。
 私は「しめた」と思った。そういう思想上の議論は滅多にできるものでなかったし、その頃の私は何かを信仰している人間なんて弱いやつだと思っていたから、あわよくば打ち負かしてやろうと思ったのだ。とにかく興味津津だったので私はいろいろなことを質問した。納得いかないことがあれば、とりあえず理論を理解できるまで、突き詰めた。次第に彼らが冗談ではなく本気でその仏に帰依しており、どうやら私に勝ち目がないことを悟った。そもそも彼は努力家だという印象が私にはあった。話の詳細はもうあまり覚えていない。ただAが「自分が高校に合格したのもブッポーのおかげ」と宣言したことは、未だにその表情、声の調子まで思い出せる。人間はこんなに強く何かを信じることができるのか。こういう関心が全面に出てくると、もう話はどうでもよくなってきて、それまでの自分の人間嫌悪を思いなおし、純粋に人間に興味を持とうと考えた。
 多分この瞬間がなければ私は哲学科には入っていなかった。そういう意味でブッポーは私を間接的に救ったのかもしれない――それが救いなのかは、まだ分からないし、また私はこのブッポー自体を信仰することはなかった。私はこのことをきっかけにかなり露骨に宗教学の本を読んだりするようになり、当然親に勧誘を受けたことを話していたので、母親に何か宗教にはまってしまったのではないかと心配された。母親は親戚に自分の推測を言いふらしたので、同じような心配を少ない親戚にもされた。逆に父はいたって冷静だった。もともと大学で歴史を専攻していたからかもしれない。もっともこの心配も私が大学に入る頃にはすっかりなくなっていたようだ。私は“変わった子”だったから。
 変わった子は、4時間に及ぶ宗教勧誘を終えても元気で、とりあえずその宗教の本をもらうことにした。それが、そろそろ退屈してきていたこの状況を終わらせるのに手っ取り早いと思ったからだ――そして案の定話はとりあえずおしまいになった。Aの仲間とはそこで別れた――以来二度と会っていない。私はAをそのまま家に呼び、いつも通りゲームをして彼と別れた。次の日からもいつも通り一緒に下校した。宗教の話はあえてはしなかったが必然性があればするつもりではあった。結局そのあと、一度だけAの家に行った時再び勧誘を受けたが、私は相変わらずで、それ以来もうAの方から宗教の話をすることはなくなった。後で他の友人に聞けばAから勧誘を受けた人は数多くいたようだった。
 「お前、よく普通に付き合っていられるな」
 信仰の自由は法律で認められているし、信仰は私にとっては有り得ないことだが、彼にとってはそれが必然なのだから、彼に冷たくする必要はないと思っていた。
 今や私は携帯電話を一度紛失したせいで、彼と交信する手段をなくしてしまった。気まずいだろうから同窓会にも来ないだろうし、もう会うこともないかもしれない。ただ私と直接会った人間で、いまのところ一番大きい影響を私に与えた人間は彼なのだ。私はAに感謝しすらしている。
 こうした私の体験は奇異に映るかもしれない。でもそれはあなたの見え方でしかない。物事は複雑だから、あなたも実はあなたが思ってもみない何かから、強い影響を受けているかもしれない。またあなたは自分でも気がつかない間に誰かに強い影響を与えているかもしれない。ひょっとしたら私も……。

なんとなく小説っぽく書いてみました。ようするにIt is a dog.とAからの宗教勧誘、この二つが私が哲学科に入る大きなきっかけだと思われます。あとは高2の時の倫理の授業も影響としては大きいのですが、あくまでダメ押しできっかけではなかったと思う。
毎度毎度長い文章を読んでくれてありがとう。
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早いものでもうあの震災からもう半年経ちました。

 私は3.11の経験で「日本は大きく変わるだろう」「パラダイムシフトの時が来た」と思いつつも、実際にはそんなに短期間で変わらないか…と冷静になりつつ、しかしやはり何かしら変化するはずだ、と心のどこかで期待してたような気がします。ところがまぁ残念なことに半年経っての現状は私の控えめな期待にすら遥かに及ばないくらい“変わってない”っつうのが正直なところです。もちろん被災地には劇的な変化があったし、それは現在進行形なのですが、非被災地とでもいいましょうか、つまり東北の地域以外の日本にはあまり変化が見られない、と。
 もちろん3.11の直後はものが思うように買えず、大規模な節電が行われ、CMはACばっかりだったりと非被災地にも何かしらの影響はありました。しかし夏に入ったくらいから渋谷の大スクリーンは昼間から大音量でCMを流し、電車のダイヤは元に戻り始め、ニュースはあまり被災地のことを本質的な意味で報じなくなり、政治家はいつも通り派閥争いを始めました。良くも悪くも日常を取り戻しつつあるということです。本来あるべきであったあらゆる議論、そすて何より被災者を置き去りにして。
 まずは報道です。震災当時フジテレビが親を亡くした子供に密着しそれを特番にした時、ひどいバッシングがありました。私はTwitterでこのやり方を、死という現実を死者の数だけで報じるよりも遥かに私たちに迫ってくるし残酷なことを報道することも時にはメディアの役割だ、ということを呟いたと思います。これに反応してくださった方がいて「確かにそうだがタイミングを間違えてる」と意見をもらい、ああそうかもしれないな、とその時は少し落ち着いて考えたのですが、結局今の報道はどうでしょうか? 流れてくる被災地のニュースは「今日は○○(芸能人)さんが被災地に赴きこんなことをして、子供たちは大喜びでした」「被災した○○さんにはこんないいことがありました」みたいな美談ばかり、本質的な被災地の現状を伝えているのかはなはだ疑問です。私自身がそこへは行っていないから大きなことは言えないですが、実際にそこへ行った親の話だと本当に復興という言葉を軽々しく口に出来る状態ではなかったとのことでした。何も暗いニュースだけを流せというわけではないですが、日本人が知るべきは現実だと思うわけです。
 報道だけでなくこれに関しては政治屋(バカにして使う言葉)もそうですが、原子力発電関係のニュースでもやはり肝心なところから目を背けたものになってるなぁと感じます。3.11の経験はそもそも脱原発か続行かという単純な選択を迫るものでははないです。もちろんそれも含むのですがあくまで“含む”であり、問題はもっと大きなところにあり、具体的に言葉で表せば「経済至上主義は正しかったのか」ってところまで遡る問題でした。
 脱原発を口にすると必ず、経済はどうなるのか? その地の原発関連の莫大な雇用はどうするのか? っていう反論がでてきます。問題なのはそこではなく、結局日本は経済発展の名の下に地方の人々の頬を札束でひっぱたき感覚を麻痺させ核のリスクを押し付けたという事実が意味するところを考え直すべきなのに…(これとよく似た構造が米軍基地問題にあります)。端的に言えば命を金に預けるようなことが普通に行われたってことです。だから3.11を経て私たちは経済さえよくなればいいのかな? ってことを考えなきゃならんという話。実際とっつきにくい複雑な問題でなかなか議論しにくいことではあるのですが、この震災でやっと真剣に考えるチャンスがめぐって来たはずだったのです。
 しかし半年経った今もこういう根源的な問題に言及する政治家もコメンテーターもあまりいません。閣僚のくだらない失言を延々と野党が煽りたてメディアをその様子を報道するという日常があり、与党は与党で未だに派閥争いを繰り広げている日常がある。
 こういうことが私が3.11以降の日本にあまり変化がないという所以です。なんの因縁なのか9.11も今年で10年目という節を迎えるのですが、やはりアメリカも9.11を経験して本来あるべきであった議論をしないできました。押し付けまがいの民主主義の正義や、武力による(彼らの言うところの)悪の制圧…。アメリカは10年経ってビンラディンを殺しましたが、それは虚しい成果です。日本は10年後どうなっているでしょうか? というか10年後は自分らの世代が日本を率いる時なんですよね…。だから私は狭い見識ながらこんな文章を書かなきゃならんと義務感に煽られているのです。
 暗い話ばかりだったので最後に私が3.11以降の良いと思った変化を書き連ねようと思います。
・島耕作が3.11の経験で経済至上主義に改めて疑問を投げかけたこと
・日テレがいつもなら不謹慎とか言って放送できないような映画「地球が静止する日」を震災から二カ月くらいで流したこと
・日本の現代芸術家の作品を集めたZIPANG展が震災をきっかけに開かれたこと
・東京国立近代美術館で東北にちなんだ展示があったこと
・マスコミと政治家はともかく、twitterとか友達レベルでは今までなかったような議論がみんなの間に生まれたこと
 ・
 ・
 ・
まだまだありそうですがこの辺にしときます。

長い文章読んでくれた方に感謝します。
ではでは。
去年レポートで書いたやつに手直ししてみた。
直接的でないにしろフクシマのことにもつながるところあるんじゃないかと思う。
放射線に恐怖するのはもとっもなことだけれど、もっと恐怖すべき対象が身近にいるんじゃないかな。

『キング・コング』~究極の猿モチーフ~
1.“猿”というモチーフ
 ダーウィンの『種の起源』が発表され「人間は猿から進化した」という衝撃の仮説――人間は神が自分に似せて作ったのだから――が世に広まった。そしてまた『種の起源』において主張された自然淘汰説は社会にも応用され、高等な人間である西洋列強国は下等な人間(=人間の進化前のイメージ=猿。具体的にはアフリカ、アジア)を啓蒙するのが正義という社会ダーウィニズムの下で帝国主義は当然のこととして進められた。しかし、下等であり啓蒙されるべき野蛮な人間が反旗を翻し西洋列強に立ち向かい反乱をおこし始めると西洋人たちは焦り始める。このまま自分たちが下等な人間共に侵略されるのではないか、という不安に駆られたのだ。この恐怖・不安から帝国主義ゴシックという一種の文学ジャンルは生まれ、これらの作品においては猿のモチーフが下等・野蛮・退化のイメージをもって数多く登場した。猿によって人間がおかされるという恐怖を描いたのだ。ただしそれの多くは帝国主義に対する反省ではない、と同時に私は考える。ただ単に異質な猿への恐怖を描いたに過ぎない。

2.典型的な“猿”のモチーフ ~『猿の惑星』(1968)における猿~
 小説をもとにした映画『猿の惑星』で登場する猿は言語を理解し、知性も発達していて、その上身体能力に優れ、人間を支配している。下等であるはずの猿は進化し、人間は支配されるという構図はまさに帝国主義ゴシックの典型といっていいだろう。
 猿文明よりも発達した文明にいた人間である主人公の視点で物語は進行するが、ここで気をつけたいのはこの視点こそが我々視聴者の視点に近いということである。要するに主人公とは現代人であり、我々の代表である。猿たちの顔は人間にしてみれば醜く、彼らの見せるいかにも動物的な興奮状態も我々人間からすると印象が悪い。それゆえ言葉も話せないこの世界の人間の方に味方したくなる。つまり猿と人間の立場は確かに逆転されているかもしれないが、あくまで人間は理性的で美しく、猿は野蛮で醜いのだ。(後に作られた続編においては人間自身の愚かさが描かれていないことはないが)
 物理的な力、目に見える権力といった表層においてこそ猿>人間が成り立つが、それに反して精神性といった内面的な話になると実は人間>猿という自負が見てとれる。そしてより視聴者・読者が同情し共感するのは当然内面で猿に上回る人間ということになる。この特徴は他の多くの猿が登場する帝国主義ゴシックに共通する。
 この考え方で見ればこれらの物語は、植民地活動という行動をした西洋人が野蛮であったというような“反省”は全くなく、あくまで野蛮な非西洋人(=猿)に逆転されるという屈辱、恐怖を描いたにすぎないと感じるのだ。これが帝国主義ゴシックは帝国主義に対する反省では全くないという主張の所以である。
 しかし私は『キング・コング』は例外であったと考える。

3.『キング・コング』
 『キング・コング』に登場する猿のモチーフはいうまでもなく、巨大なゴリラのような姿をしたコングのことである。三度にわたりリメイクされたがここでは1933年の初代と2005年の三代目を中心に述べる。1976年版は中点の入らない『キングコング』であり、またDVDも見つからず、記憶があいまいなので軽く触れる程度にする。
(1) 物語前半 ~開始からコング捜索まで~
この時点でのコングは他の物語に登場する猿と違わず下等で野蛮な描写がみられる。初代においては醜い顔つき、粗野で乱暴な仕草、人食い、美女をさらい服を剥ぐなど数々の蛮行を見せる。05年版では顔つきは実際にいるゴリラに近く醜いというイメージは薄まり、また表情豊かで、美女も恐怖とは違う正の感情をコングに抱く。しかし強調すべきは、いずれのコングも人間を圧倒する力をもって敵対していることだ。
これらの描写から見てとれるものとして、その圧倒的な腕力においての猿>人間の関係、理性的か野蛮かという点では人間>猿の関係が見てとれるだろう。つまりは典型的な表層での猿の優越、内面での人間の優越が見てとれる。ここまでのコングは『猿の惑星』の猿と対して変わらない。
(2) 物語の転換 ~コングの補獲~
 人間たちは美女を救い出すことに成功するが、ここでコングの捕獲という行動に出る。そして補獲に成功するシーンで猿>人間という物理的な力関係は逆転される。そして重要なのは精神面での人間>猿という関係に疑問符がついてくるということだ。コングを捕獲した時の「みんな億万長者になれるぞ。ブロードウェイに出す。“コング 世界第8の不思議”だ!」というセリフに誰もが人間のエゴを少なからず感じるだろう。
 初代が公開された当時、世界恐慌であったことからも金銭にたいする人間の野望の虚しさを感じずにはいられない。そして05年版当時は環境破壊が問題視されており、自然に対する人間の身勝手さをも表していると言えるだろう。コング=猿は初代においては経済効果を狙える被侵略地域を、05年版では自然そのものあるいはその神秘を、象徴しているのだ。
(3) 物語後半 ~見世物小屋のシーンからコングの死まで~
 画面は暗転しコングを見世物にしたことによってぼろ儲けする人間の姿がうつされる。そして縛り付けられたコングが現れ、美女をさらい、逃げまどう人々を踏みつぶしながらの脱走、美女を片手にエンパイア・ステート・ビルへと登る……頂上で複葉機に一方的に攻撃され、死亡、落下。初代と05年版に共通する流れである。
 この場面で物理的な力が完全に人間>猿であることが強調され、そして視聴者の同情がコングの方へと移動する――初代ではコングが美女以外の人間に対してあまりに残酷なので情が湧くのは本当にラストシーンに限られるかもしれない――。76年版、05年版に関しては美女が完全にゴリラに対して同情あるいは好意を抱き、庇うというシーンがあるので、視聴者のコングへの同情はさらに後押しされるだろう。コングを身勝手にニューヨークに連れてきて、そして殺すという横暴さが人間の理性に疑問を投げかけ、美女のコングに対する感傷や、コングが美女に見せる哀愁の表情がコングの野蛮に疑問を投げかける。この二つの要因によって精神面における猿>人間が達成される!
 ここに帝国主義への、そして05年版においては自然環境にたいする帝国主義への“反省”が見られるのだ。猿という下等なものの侵略というイメージではなく、人間そのものの失墜、堕落、野蛮を強調することが『キング・コング』における最大の価値であると私は考える。猿が力をつけて人間に逆転するのではなく、人間が己も気付くことなく堕落し猿に逆転されるということだ。
(4) 最後のシーン ~美女が野獣を殺したんだ(beauty killed the beast)~
 ビルの上で死に、落下したコングを見て放たれるセリフ。もちろんセリフの直前に「飛行機ではなく」が入ることは容易に想像できるだろう。
 飛行機が殺したのだったらそれは物理的な力における人間の優位を示すに過ぎない。かといって美女が殺したというのが精神面での人間の優位を表すわけでも当然ない。下等で野蛮だと思われていたコングが女の美しさという人間的な感覚に魅了され彼女を愛し、ついにはそれのために命まで落としたという、紛れもないコングのもつ高い精神性を称賛するものだ。この物語のテーマはこのセリフに集約されていると言っていいだろう。

4.恐怖映画としての『キング・コング』の性格まとめ
 典型的でないにせよ『キング・コング』は帝国主義ゴシックに他ならない。しかもそれは、高等な人間と下等な猿の表層的な立場逆転というのではなく、精神面における人間の野蛮化、猿の高等化という本質的な逆転であり、ある意味では帝国主義ゴシックを最も衝撃的な形で提供したものだと私は考える。つまりは究極的な形の猿モチーフだったのだ。
 そしてゴシック小説(映画)が常にその時代の世相を反映してきたように、初代の『キング・コング』は帝国主義、世界恐慌の影響を受けており、05年版においては同じようなストーリーながらも環境破壊という問題を私たちに“反省”させる。『キング・コング』は単なる映像効果に優れたパニック映画では決してない。


終わり。
長文読んでくれてありがとー。
上記以外の猿モチーフだと、タイムマシンに出てくる名前忘れたけどあの猿っぽい方とか、ジキルとハイドのハイドも捉え方によってはそうだと思う。
今度サークルでボーリング大会やるそうです。
おそらく主催者の趣味的にボーリング→カラオケなのは明らか…。
ただでさえボーリング苦手なのに、その上カラオケとか考えられん。

私がカラオケ嫌いなのは一に歌うのが苦手というのがあります。
「歌うの苦手でも大丈夫だよ。みんな下手糞だよ!」
「歌うのが下手とかww誰もお前の歌聞きに来てるんじゃねぇよ、自惚れんな」
などなど優しい言葉からムカつく言葉までいろいろ言い聞かせてきて、最終的には「歌わないで場を盛り上げれてればいいよ」っていう風になる。
行きたくもないところに連れて行かれ、食べたくもない糞まずい飯を食い、聞きたくもない歌を聞いて、お金を払い、場を盛り上げろ……だと!?
どうしてそんな拷問を受けなくちゃいけないわけさ? しかも大概歌わずにいると後半で「お前もなんか歌えよ。え? 歌わないのノリ悪っ!」とか言って罵倒されるんだ、歌わないでいいって言ったのはお前らだろ~。
てなわけで、カラオケはいやなんですよ。そして罵倒されずにいたとしても何も歌わずに相槌を打ちながら淡々と聞いているのも気まずい、声には出さなくとも私に向けられる微妙に負の感情のこもる視線には気づいてしまう。普段は鈍感だけど嫌なことだらけでいつ歌を振られるのかビビってる状態だと感度が上がっちゃうんだよ。

とはいえ今の時代カラオケはもはや社会的なコミュニケーションツールの一つ。学生、サラリマーン、OL……あらゆる人々はカラオケに行き歌い、交流を深める。そしてこの習慣は文化として海外へと飛び出しKaraokeとして世界で親しまれている…。
しかしここで私は思うのですよ果たしてカラオケがそこまで優秀なコミュニケーションツールなのか、と。それによって実際に交流を深めることができるのか、と。人が数人あるいは十数人集まり、他人の世界とは断絶された閉ざされた狭い部屋で、盛り上がりながらしかし同時に黙々と、歌い歌を聴く。強調したいのは一人が歌うのをみんなで聞くということ。しかもみんなで聞くというよりかはむしろ自分の歌う番を待ってるという印象。マイク、早く俺のところに来るんだっ!って印象。せっかく人がたくさん集まってるのに一人だけが歌い(あるいは数人で歌い)他が聞いているという状況が私には奇妙に、SF的に感じられます。
一人の代表者が前に出て歌う、何かするというのは儀式地味ていて古代からあった習慣のように思えますが、カラオケはむしろそういった互いの立場、垣根を超えるツールのように私は思いますので祭儀などにおける儀式の延長の文化にはならないでしょう。歌う人は代表者ではないですからね、対等な立場として順番に歌うだけですので(世の中には接待カラオケという言葉もあることはありますが)。まぁ、ここではカラオケの起源を探るわけではないですからこの話は終わらせましょう。
私が言いたいのはどうしてそんなに人がたくさんあつまるのに、ひとりひとり順番で歌っているの? ということ。うちの親族の人はあまりにカラオケには行きませんでした、集まる機会があれば大きい和室を一室借りてみんなでばか騒ぎしてたと思います。踊ったり、楽器できる人がいれば弾いてもらったりして…。具体的にいうと沖縄の人たちが「イーヤッサッサ」とかいいながらぴゅーぴゅー口笛を吹いているイメージです。こういう方がいいと思うんですよ、カラオケで陰気に一人で歌ってるのを眺め、盛り上がるより、みんなで歌い、踊ったほうが楽しいに違いない! 私自身一人で歌うのは嫌いですがみんなで歌うなら臆病な羞恥心も消え失せますからね。嗚呼、懐かしき自然教室で炎を囲みマイムマイムを歌い、踊った日…と思いだせます。みんなが集まって何かするのはやっぱり一種のお祭りだと思う、神を祀るわけじゃないけど、こうしてみんなが同じところにいれることの運命を祝ってるような気がするんですよね。繰り返しになりますが、そんな機会を祝う手段がカラオケだなんて…
多分これを読んでもカラオケ好きな人は「いや、聞いてる方も楽しいしw みんなで歌う時もあるしw」って感じかもしれません。しかしやはり私には違和感があるのですよ、せまい空間で一人の歌を大勢が聞き、それが交流を深めるという通説、文化に。

とはいえ現代はみんなが集まり広い空間で大騒ぎするような場所は少なくなっているというのも事実。都会の建物は横よりも縦に大きくなっていき、一つの家に住む世帯数は確実に減り、家族で同じ屋根の下に住むのに二世帯住宅なんていう不気味なシステムある。メディアの叫ぶ近隣住民のコミュニケーション不足は珍しく的を得ていると言えるし、本来時間のある学生たちは早々から就活、またそのための資格取得に奔走する。みんなが集まりそれを祝うためには、もはや空間的にも時間的にも、そして悪いことには環境的にも厳しいかもしれません。そしてこれら厳しい条件の中で生まれたのがカラオケ、狭い空間でほどよい人数で時間料金制、ひとりひとりが個々に持つストレスを歌うことで発散する。社会的な結びつきは希薄ですから、学校の仲間、職場の仲間…そういう狭い人間関係のなかで集まるにはちょうどよかったのかもしれませんねカラオケは。そういう意味では一つの文化と言えるでしょう。文化は人間が自然、社会など自らを取り囲む環境の変化に応じて姿を変えていきますから。でもここで互いのストレスを、苦を、喜びを…共有する文化は失われているように思えます。ひとりひとりが順番に歌うという行為は、相手の気持ち、境遇を自分のことのように考え、感動するという心理を確実に拒絶しています。これはいいことなのか悪いことなのか。個人主義が謳歌されつつも疑問を持たれ、全体主義は戦争の反省から絶対的に批判される、こんな揺れ動く世相を反映しているともいえるかもしれませんねぇ、ひとりで歌うのか、みんなで歌うのか、という問題は。

長い文章読んでくださってありがとうございます。
ではではー。
部屋の掃除に丸二日かかるとか終わってるよね。
でも元が汚くないと掃除した気にならないのでこまめにはしないんだよ。決して面倒くさいとかそういうことではない…はず。

今回は世界一受けたい授業で目にしたものを書こうと思っているのですが、「土曜日じゃないか、なんで今更…?」と思った人は、私が掃除の話をした理由を考えればいいと思います。


確か芸術品の修復の話でした。
世界遺産レベルの絵画(壁画)の修復ではベタ塗りせずに、何本も線を引く手段で色をつけて修復するのは何故か? という問題があったのですよ。答えは「修復には手を加えすぎてはいけないから、必要最低限のことしかしないと世界規約で決まってる」(ベタ塗りだと元の作品を上塗りする感覚があるんだと思われます)だったのです。
 ゲストの皆様方は相変わらずのテンプレリアクション「なるほど~」「へぇ~」とかいいながら少しのけ反る、を見せてくれましたが、私としては「むむ…」って感じでした。
 多分この正解を見てとくに違和感なく「なるほどねー」って思った方は西洋的な芸術感覚を持っているんだと思います。逆にちょっとした違和感を感じた方は日本的な芸術感覚を持っているんじゃないかと思います。もちろんどちらが良いとかそういうのはないです。日本人なのに西洋的感覚っていうのは十分にあり得る話なので。あ、あくまで推測ですからちげーよって人ももちろんいると思います。その時は申し訳ない。
 そもそも西洋における建築は石でできていますからその作品の寿命はかなり長いです。逆に日本の建築の基本は木ですから例外はあれど腐るので作品の寿命は短い。そうなってくると作品のオリジナリティーあるいは価値というものが作品の中のどの部分に置かれるかということが推測できるかと思います。
 西洋の場合、長寿命の作品を作れるわけですから永遠を求め、また作品はそれ自体の素材にオリジナリティーが置かれます。だから彼らはボロボロになったパルテノン神殿も、コッロセウムも修復はしても完全にもとには戻しません。対して日本の場合、建築は短命なので作品の素材には価値を置くことはできません。ですから彼らは古くなってきた神社などを改築することに抵抗を覚えません。例えば古くなってきた神社を完全取り壊し、違う場所に同じ建物を建てるという遷宮の概念もここからきています。つまり日本人は作品のオリジナリティーを意匠・デザインに求めているといえます。また余談ですが日本独特のはかなさだとかの美意識もこういうもろいう建築に生きたことがゆえんなのかな? とも思います。
 だから「作品の素材を超えて修復してはならない」というルールを世界基準にするのはどうなの? というふうに私は思ったわけです。実際日本がこのルールに批准しているかどうかは知りませんが、まぁこの話はルールに対する意識の話なので関係ない…はず。

世界基準が西洋基準であることはボーダーレスを謳う現代においてもよくありますから、ちょっと気になったぜ程度の話でした。
 もっともらしいこと言ってそうだけど芸術学においては基本の「き」みたいなものです。ただ、得た知識がたまたまテレビを見ていて役に立ったたりすると嬉しいよね(何
 
あ、日本美術だからといってなんでも作った当時の姿に戻したがるかと言えばそんなことは全くないです。色の剥げた仏像や、また色落ちした源氏物語絵巻を見ても別に元の状態に戻そうとせず、そこに時の無情さや、作品のはかなさを感じる場合もありますからね。おそらく西洋の場合もまた然り。あくまで一般的に、今回においては特に建築に於いてはって感じです。

ではでは。


追記:
書くたびにカテゴリーが増えていくのは仕様…のはず。
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