忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4]  [5
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日の飲み会での話。

 まだ内定貰ってないけど、最終面接5コくらい残ってるとかいう人が同級生と下級生数人相手に、就活塾を1時間くらいやってた。ちなみに50人規模の飲み会の一区画。私は昼間に飲んだラクとかいう45度の酒のせいで軽く気持ち悪く、横になりながらその話を聞いてた。正直酔ってて話半分なんだけど、とにかく自分の短所をいかにうまく長所に切り替えられるかとか、興味のある企業の広げ方とか、面接での好印象とか、第一志望だと相手に思い込ませる方法とか……いろいろ。テクニックの話だった。
 私はどうして内定貰ってないっつう自分と同じ立場の学生の話を、皆が熱心に聞いてるのかずっと不思議だったけど、後から聞いたら彼にはとある会社で人事部長をやってる親戚がいるとかで、まぁそういうことらしい。つまり彼が話てたことは一人事の人の台詞とのこと。私は就活してなくて、当事者じゃないからよくわからないんだけど、就活ビジネスでは「どうすれば面接でESで好印象を与えられるか」的なのはよく見る。だからその親戚の人事とやらが言ってることも結構一般的な話なんだろうと思う。
 話もどって昨日の飲み会。私は酔って気持ち悪いながら、その話も気持ちが悪かった。要するにもはや就活生は「選ばれる側」でしかなくなってしまっていることが、だ。なんかもうビール片手に熱弁する彼も、それを聞く彼ら彼女らも、みんな何社も落ちて「受かったらもうそこでいい」って感じだった。もちろんこっちが会社を選ぶというトピックも話してたんだけど、聞いてる印象だとその話題は弱い話題だったように感じた。

 同学年でだべってると話題は自ずと就活になるんだけど、いかに合格するかが全てに先行してしまっていて「就職したらこんなことがしたい!」っていうのはほぼない。

 多分、これは相当オワッテル話なんだと思う。もはや会社は私を養ってくれる場所になってしまっている。もちろんそれもあるんだけど、でもでもホントは会社を通して社会になにかできれば…ってのが心底に無いとまずいんじゃないのか。実際入社してから、そういう目標が見つかると良いけど、ブラックがなんだ離職率何パーセントだ、という情報の多さからしてそういうケースはお世辞にも多いと言えそうにない。
 それに私はこういう現状の原因を就活生の意識の低さに帰するのもどうかと思う。昨日の飲み会で「社会人なりたくないんで大学きましたはっはー」みたいな人もいて、その場で親に謝れと言いたくなるのを堪えつつ、金儲けに呆け理念も哲学もない成長を続けさせてきた過去を虚しく見つめる。
 いや当時にはもちろん大変な理想を抱いていた人もいただろうし、今の学生がどいつもこいつもモラトリアム野郎だとは思わないし、私なんかペーペー学生だし、ただいろんなこと括弧に入れてその分差し引きで考えても、今の就活生のリアル(4月下旬、仲間内の飲み会における高学歴でもない学生の談話)を見て、非常にこの先まずいんじゃないかと、そう思ってしまった。

いやーマジで、この閉塞感ただようこの若者の上でアベノミクスという言葉に踊る社会空気は、なかなかきつい。45度の酒もふっとぶね、客観できる立場じゃないだけに。

なんか暗い話だけど、これで。ではでは。
PR
今回は私がパリを歩きまわって感じたことをずらずら書いていきます。

治安
私の泊ったガリエニはパリの端っこのさらに外側であまり治安が良いとは言えず、ヤバい雰囲気が漂ってた。ただ、パリの中心街にいっても物乞いがいたり、美術館内ですらスリ注意の看板があったり、少し油断してると黒人が水売りつけてきたり、イスラムスカーフ巻いたおばさんが署名を求めてシャーペンで突っついてきたり、相変わらず治安は悪い。地下鉄もなかなか目つきの悪い人がたくさん乗っててそれなりに恐い。いつだったか、日本の治安が良いとか神話だ、ってのを見かけたが案外真実でもあると思う。単に自分の国だからってのもあるけど、それでも電車で寝れるのは普通に考えればとても安全だな、と。

パリの人
一番印象深いのは信号を全く守らないこと笑 どんな大通りでも車さえいなければ渡る、車も人がいなければ渡る。車もいないのに信号待ちする日本人はさぞかし不思議に見えただろうなぁ。ファッションはオシャレと言えばオシャレだが、どれも画一的。日本で言ういわゆるシックな人が多い。マダムって感じの女性は原色使った派手な服を着てて印象的。イスラーム信者の女性は素敵な柄の布で顔をまとっていて面白い。

気候
朝7時でようやく日が出て、落ちるのはなんと20時頃。暗くなるのが遅いおかげで、治安が悪くとも比較的長い時間外にいられる。朝夕はとても涼しく、長袖のシャツにパーカー着ててもちょっと寒い。昼間は日差しが暑いけど日本に比べればぬるい。私は最終日以外雨に降られることもなく、雨は少ないのかな? という印象。

街並み
中心街は普通思い描くような石造りの建物が並ぶ、ノスタルジックなもの。とにかく高さはなくともサイズがでかい。なので町に広がる道の網の目はとても荒い。道路は石畳だったり、コンクリだったりまちまち。道路全てに名前があるため、初めてでも地図さえあればまず迷わない。古い町並みは最初は新鮮だけど、以外とすぐ飽きる。シャンゼリゼ通りは一回部分だけ新宿みたいで面白かった。建物のサイズと供に、道もとにかくでかいので、人が多くても込み合ってる感はあまりしない。郊外に出るほど日本で見るような四角い近代的な建物が増える。中心街はカフェが異常にたくさんあり、人々は店の外の席でコーヒー飲んだり、酒飲んだりしてる。時間を問わず人がなんか飲んでる。

エロ
日本の街並みとパリとの最大の違いはエロ要素だと個人的に思う。パリだとモンマルトルなど歓楽街ですら、いかがわしい店の姿はほとんどみられない。置いてある雑誌にもそれらしい物は一切なく、広告もない。ランジェリーショップがやたら沢山ある以外、エロいものはほとんどない。ただで配ってる新聞にもそういった広告はなかった。センター街に“総合案内所”があり、電車の中吊りにグラビアが写ってる日本とは雲泥の差。

トイレ
これは覚悟してたけど、空港でもルーヴルでも便器は日本でいう汚い飲み屋レベル。トイレ全体のデザインは日本よりかっこいい時もある。便座が温かいものも、ウォシュレットがあるものも私は遭遇しなかった。トイレットペーパーは何故かどこでもダブルなのは嬉しい。あと、私は入らなかったけど公衆便所が街中にちょくちょくあり、看板で「トイレまで50m」みたいに示してあることもある。

観光客
そこらじゅうに地図を広げた観光客がいる。ざっと見て、パリ出身ではないフランス人の観光客が多い模様。他スペイン、アメリカ、中国、日本などなど。私は「コンニチワ」「オゲンキ?」「アリガト」など言われたので日本人だと認識されていたみたい。一度だけ「アニョハセヨ」と言われた。

スーパー
規模が半端なくでかい。500mlペットボトルなんてものはなく、最低でもリットル買い。ワインコーナーとチーズはやたら充実してる。フランス人は自由なのか、箱の空いた商品や、飲みかけの飲料などが商品棚にちらほら。ヨーグルトはひっくり返り、卵は割れてたり、店内に鳩がいたり、日本ではあり得ない光景が広がる。都心のスーパーですらつぶれたブドウが売ってたり、結構自由。店員は大体無愛想。たまにニコニコしてる人もいる。

お金
だいたいどこでもクレジットが使えるので便利。ただしカード会社選ばないと観光客は困る(私はカードがJBCだったので使えるところがほとんどなくとても不便でした)。ユーロは同じ2ユーロ硬貨でも柄が違ったりする(国によって違うのか)。チップは一応払っていましたが、あんないい加減な接客態度でチップ要求するなんて傲慢だな、と思う。日本ならとっくに首切られてるレベルの人もちらほら。

自然
建物がありえないくらいぎゅうぎゅうに建ってるので思いのほか自然は少ない、並木がある大通りは沢山あるけど。ただしたまーに広場や公園(Place)があってそこは気があって落ち着く。セーヌ川沿いもまぁまぁ緑がある。

美術館
ルーヴル、国立近代はなんと写真撮影OK。もっとも写真不可の場所でカシャカシャシャッター音鳴らしてる観光客が大量にいますが…。あと、絵の隣でそれを模写してる人がいるのは、日本ではなかなか見られないかな、と思う。ミロのヴィーナスやモナ・リザなどの周りは流石に日本で見られるような混み具合だけど、基本的には落ち着いて見れる。印象的だったのは、モナ・リザの目の前までカメラを向けながら近づき写真を撮って戻る人の多さ。つまり彼らは肉眼ではモナ・リザをみていないわけです。解説は国立近代以外基本的にはフランス語しかなく辛い。

カップル
街中どこでも、日本なんて目じゃないくらいのカップル率の高さ。男二人で歩いてる私たちが浮くぐらいカップルしかない。一人で行動してる人などいないレベル。日本人は群れるというけど、彼らは二人組じゃないと死ぬの?ってくらい二人でいたがるみたい。あと目のやり場に困るくらい平気でいちゃつくので、近くにいると気まずい。

食事
スーパーで売ってる既製品は基本的に美味しくない。お菓子も大体不味い。レストランはどこも値段は一緒なんだけど、質はピンキリ。大体昼飯食うと13~20€くらい(日本円で1300~2000円)。こんな安くていいの? って時もあるし、ぼったくりかふざけんな! って時もある。ただ、値段に関わらず量は多い。高級料理店は行ってないですが、日本のあのチンマリした料理はなんなんだろうってくらい量が多い。あと料理頼むと絶対フランスパンが付いてくる。店員が「どうでしたか?」みたいなことを聞いてくる。酒飲みとしては朝、昼も当然のようにワインが出るのは素晴らしいと思った。食後にコーヒーを飲むか絶対聞かれる。

日本
フランスで見かける日本のものはやはりオタク文化が最も多い。テレビでドラゴンボール見たし、ポケモンカードのCMも見た。スーパーにはMANGAコーナーがあり子供が座り込んで読んでたりする。ゲームの広告もいろんなところで見かけた。また9月15日16日になにかアニメのイベントがあるらしく、それの告知広告はメトロに貼りまくってあった。SUSHIもよく目にするワードでレストランのみならずスーパーにも寿司コーナー(売ってるのは生魚の切り身)があった。ファッションに目を向けても日本人デザイナーのてがけるブランドはデパートに大体入ってる。本屋には浮世絵の凄まじいページ数の本が平積みしてあった。漢字の刺青やTシャツ着てる人も少なからず見かけた。一番驚いたのは新聞にSUDOKUが載ってたことかな。ニュース番組では日本はほとんど見ませんでした…。

ざっとこんな感じでしょうか。質問あれば答えますし、私も思いついたら随時書き足していきます。長い文章を読んでくださってありがとうございます。
9月5日から12日にかけてのパリ旅行の報告をば。

哲学科の友人と二人で旅行。貧乏旅行なので、基本は歩いていろんなところに行きました。

1日目
シャルルドゴール空港から、ホテルのあるガリエニへ、ワゴン車で送られる。落書きだらけ、沢山の物乞い…と治安の悪さにビビる。近くのスーパーで夕食買ってこの日は終了。

2日目
朝早くに出て、ヴァンドーム広場と、コンコルド広場のオベリスクを見る。10時にはルーヴル美術館へ向かう。この日は近代以降の絵画と工芸品を除く部門を見る。個人的にはソクラテス、プラトン、アリストテレスのギリシャ彫刻とパスカルの彫像が一番見てれ嬉しかった。15時(フランスは20時くらいでようやく夕方)くらいにシテ島まであるきノートル・ダム聖堂を見学。ガーゴイルに萌える。帰りにシテ島のカフェで軽い食事を取ってホテルへ。

3日目
再びルーヴルへ。工芸品コーナーで作品に近づきすぎアラームを鳴らし、焦るも係の人は優しくほほ笑む程度。教科書で見るような名画がシレっと展示されていてびっくりする。デカルトの肖像画が目に付かないようなところにあった。思いのほか時間を食い、ミュージアムショップで時間をつぶし、最後にデパートのプランタンによって帰る。

4日目
オルセー美術館へ。改装中が多くて残念。日本ではあまりの人の多さで見るのをあきらめたドガの<踊り子>の前に全く人だかりがなく衝撃を受ける。大好きなシニャックの作品がたくさん見れて上機嫌になり、ついでにシニャックの図録も購入。ここで食べた昼食が旅行を通して一番おいしかった気がする。その足で近くのオランジュリー美術館へ、モネの晩年の大作睡蓮をまじまじと見つめてたら涙が出た。それでも時間があるので思い切って凱旋門まで歩く。直線で繋がっているとは言え遠い。シャンゼリゼ通りで草間仕様のルイ・ヴィトンのショウウィンドウを発見。何故かベルギー料理屋で夕食を済ませて帰る。

5日目
ポンピデューセンターの国立近代博物館へ。朝早く行き過ぎ、時間があったので目の前のカフェで時間を潰す。この日以降頻繁にカフェに出入りするようになる。日本の企画展で見た作品を再見することが多かった。言い方悪いが現代美術のカオスっぷりを肌で感じながら、企画展へ。とにかくまえ三つの美術館に比べて作品解説が異常に多い。ある意味コンテンポラリーアートの特徴かもしれない。この日はコース料理を予約してあったので、なんとオペラ界隈まで歩き(途中で現代建築に寄りながら)、夕食を堪能。地鳥のフリカッセが美味しかった。友達の頼んだうさぎの煮込みも少し頂く。

6日目
朝早く出てガリエニからモントルイユの蚤の市へ。治安がとても悪く、焦ったがロクヨン売ってたり、女性用下着が中古で売ってるなど面白かった。とくに何も買わず(タイプライターを買おうか迷ったけど、荷物になりすぎるので断念)。その後予定していたピカソ美術館がまさかの全面改装で空いておらず、パレ・ド・トーキョーと迷った挙句、モンマルトルへ。サン・クレール教会で再びガーゴイルに萌えた。カリエリ(だっけ?)広場には沢山の絵売りがいて、買おうかと思ったけど現金の持ち合わせがほとんどなく断念。ここで昼食を取る(バジルとトマトのペンネ)。帰りにピカソのアトリエやゴッホ兄弟のアパート、ムーラン・ルージュなんかを通りながら、またもやオペラまで歩き、お土産を買う。スーパーでワインと夕食を購入し帰る。

7日目
ロワシービュスというバスで空港へ。いろいろあると思って余裕を見て行ったのに、空港内は退屈で、危険なことに空港内で寝てしまった。免税店で土産を買い帰国。

とまぁこんな感じです。
他に思ったことなどは、次の記事で。
さて、私がこうして哲学だとか芸術だとか、こういう人間に興味の目を向けたのはいつからだったかな。とふと思ったのでちょっと書いて見ようと思う。IMERUATのBlack Ocean 聞いてたら急に文章を書きたくなってしまって、私にとっての創作意欲って文章なのかな。

 はっきり覚えている私のはじめての哲学的問いは小学三年生の時、英会話を習い始めてすぐのことだった。<It is a dog.>この文に私は吐き気を覚えた。いや、それは誇張かもしれないが、ただ本当に気持ちが悪くなって軽い頭痛のようなものを感じたのは確かだ。彼(私)は田舎の生まれではないが、幼い頃からかなり強く生き物に興味を持っていたらしい。生き物、とは昆虫、鳥、両生類、魚……にとどまらず植物、キノコ類も含め、そして彼はいつの頃からかこの並びの中に人間を同列に意識していたようだ。
 そしてIt is a dog.と出会った。She is a girl.なのになぜ犬はIt? 全く理解できず先生にそれを質問し、困らせた。私はこの時「何故人間は自分ばっかり特別視するのか?」「生き物ならみんな同等だろう」という想いを初めて明晰に抱いたのだ。以後、私はむしろ人間を嫌いになったように思われる。ちょうど地球温暖化に関しての報道も過熱し、また核エネルギーの恐ろしさを自由研究でまとめたその年に9.11テロが起きた。そういう人間の愚かな面を印象付ける出来事が私を囲い、そうさせたのだろう。同様の理由で私は宗教も嫌った。身勝手で、ありもしない神を信じ、人間を特別高等なものとして扱う。高校一年のある瞬間まで、私は人間も動物も物も等しくみることができると感じていた理数系の分野に非常に魅かれていた。
 “ある瞬間”は突然訪れた。小学生からの友人で、私と同じく部活動に所属していなかったのでいつも一緒に帰っていたAが、ある日突然「明日昼飯を一緒に食べよう」とメールをしてきた。私は友人がいないわけではないが、あまり一緒に遊ぶことはなかったので、昼飯をどこか外で一緒に食べるということが初めてで、いささか興奮した。約束の時間にその場所へ行くと、Aはすでに先に付いていて、また私の知らない人間が隣に座っているのが分かった。年上という印象を受けた。私は自称人見知り――自称というのは他人からは人見知りと言われないため――で、また3人の集まりがとても苦手だったので、正直少し残念に思い、そして幾らか緊張した。奥まったところにある小さい机を私が壁側、Aともう一人は非壁側という構図で座った。
 最初はなんてことのない話しをしていたが、私は相手が何か別の狙いがあるのだろうと、すぐに感じ始めていた。理由は定かではない。ただ相手の特にAが連れて来たやつが不自然だった。よくある会話の途切れ、ハハハという愛想笑い、沈黙。Aは突然、しかしそこしかないというタイミングで口を開いた。
 「ブッポー、って知ってる?」
 「いや」
 聞きなれない言葉だったが、私はすぐにそれが宗教だと直感した。Aは小学生のころから、修学旅行などで突然消えることがあって、その時は決まって寺やら何やらの施設を訪れる時であった。そのことが突然、頭の中に湧きあがってハッとしたのだ。Aは何か言いながら本を出して私に見せた。やはり宗教だった(一応検索に引っ掛からないよう伏せるが日蓮宗系のブッポーである)。
 私は「しめた」と思った。そういう思想上の議論は滅多にできるものでなかったし、その頃の私は何かを信仰している人間なんて弱いやつだと思っていたから、あわよくば打ち負かしてやろうと思ったのだ。とにかく興味津津だったので私はいろいろなことを質問した。納得いかないことがあれば、とりあえず理論を理解できるまで、突き詰めた。次第に彼らが冗談ではなく本気でその仏に帰依しており、どうやら私に勝ち目がないことを悟った。そもそも彼は努力家だという印象が私にはあった。話の詳細はもうあまり覚えていない。ただAが「自分が高校に合格したのもブッポーのおかげ」と宣言したことは、未だにその表情、声の調子まで思い出せる。人間はこんなに強く何かを信じることができるのか。こういう関心が全面に出てくると、もう話はどうでもよくなってきて、それまでの自分の人間嫌悪を思いなおし、純粋に人間に興味を持とうと考えた。
 多分この瞬間がなければ私は哲学科には入っていなかった。そういう意味でブッポーは私を間接的に救ったのかもしれない――それが救いなのかは、まだ分からないし、また私はこのブッポー自体を信仰することはなかった。私はこのことをきっかけにかなり露骨に宗教学の本を読んだりするようになり、当然親に勧誘を受けたことを話していたので、母親に何か宗教にはまってしまったのではないかと心配された。母親は親戚に自分の推測を言いふらしたので、同じような心配を少ない親戚にもされた。逆に父はいたって冷静だった。もともと大学で歴史を専攻していたからかもしれない。もっともこの心配も私が大学に入る頃にはすっかりなくなっていたようだ。私は“変わった子”だったから。
 変わった子は、4時間に及ぶ宗教勧誘を終えても元気で、とりあえずその宗教の本をもらうことにした。それが、そろそろ退屈してきていたこの状況を終わらせるのに手っ取り早いと思ったからだ――そして案の定話はとりあえずおしまいになった。Aの仲間とはそこで別れた――以来二度と会っていない。私はAをそのまま家に呼び、いつも通りゲームをして彼と別れた。次の日からもいつも通り一緒に下校した。宗教の話はあえてはしなかったが必然性があればするつもりではあった。結局そのあと、一度だけAの家に行った時再び勧誘を受けたが、私は相変わらずで、それ以来もうAの方から宗教の話をすることはなくなった。後で他の友人に聞けばAから勧誘を受けた人は数多くいたようだった。
 「お前、よく普通に付き合っていられるな」
 信仰の自由は法律で認められているし、信仰は私にとっては有り得ないことだが、彼にとってはそれが必然なのだから、彼に冷たくする必要はないと思っていた。
 今や私は携帯電話を一度紛失したせいで、彼と交信する手段をなくしてしまった。気まずいだろうから同窓会にも来ないだろうし、もう会うこともないかもしれない。ただ私と直接会った人間で、いまのところ一番大きい影響を私に与えた人間は彼なのだ。私はAに感謝しすらしている。
 こうした私の体験は奇異に映るかもしれない。でもそれはあなたの見え方でしかない。物事は複雑だから、あなたも実はあなたが思ってもみない何かから、強い影響を受けているかもしれない。またあなたは自分でも気がつかない間に誰かに強い影響を与えているかもしれない。ひょっとしたら私も……。

なんとなく小説っぽく書いてみました。ようするにIt is a dog.とAからの宗教勧誘、この二つが私が哲学科に入る大きなきっかけだと思われます。あとは高2の時の倫理の授業も影響としては大きいのですが、あくまでダメ押しできっかけではなかったと思う。
毎度毎度長い文章を読んでくれてありがとう。
今年ももうすぐ終わりですから最後くらいまとめ的な日記を付ける。

 今年は何よりも3.11があったことが大きいわけで、本当に言葉通りあの日、あるいはあの災害を思わない日、聞かない日はなかったんじゃないかと思うくらいだった。もちろん年の節目が3.11という出来事に対して何らかの区切りをつけるわけではないんだけれども、それでもやはり2011年という年が終わるということは例年とは違った雰囲気があると感じる。
 思えば日本においては未曾有の災害が起こり、そして原発事故があった一方で、アラブの春と呼ばれる中東を揺るがす事態が起こり、安定だと思われていたユーロ圏が崩壊の危機に立たされ、あのアメリカで利権を独占する資本家への反発デモが起こった。原子力エネルギー、EU、資本主義……現代の社会基盤を構成するうちの多くのものが突然(それは予定された必然でもあったが)、危ういものへと変わっていった。
 明らかに、日本にとっても世界にとっても2011年という年はそこで歴史の線引きがあっても何にもおかしくない年だったように思う。
 しかしながら日本にあるこの得も言われぬ倦怠、諦念、無力……俗な言い方をすればこの年はまさに“ピンチはチャンス”という言葉を意識すべきであったのに、本当に驚くくらいに何も変化がない。いや正確には変わっているんだけど上っ面で表面的、一部の人間が本気で動いてもどこか冷やかな態度で迎えられる。もちろん時代は唐突に以前あったものが消滅し新しいものがぽっと出るものではないが、それにしてもひどいように思う。しかもそんな中でTPPや武器輸出法の見直し(そしてこれからくる消費税)などの大切な問題はよく議論もされないままに、震災という大きな問題の裏でいわばまかり通ってしまった。
 そして個人のレベルはどうだろうか? とりあえず、私の近辺を見ると明確に(震災、人災を含めた)3.11を意識しって講義を取り行った教授は3人。そして何らかの形でこれに関わった教授は数人。会話の中で積極的にこの問題について話す友人、教授も数人しかいない。別に表だって話題にしなければならないというわけではないし、重要なのはまず個人のレベルで心の中だけでもこれについて考えていくことだ。ただ私が所属する思考を主題とする哲学科においてこのレベルというのは結構私の中では落ち込んだ。むしろ哲学科だから浮世離れしてこういう問題に関わりたがらない、とも言えるかもしれないが…。
 ただ、最初の方で言ったように2011年が2012年に変わったところで被災した人々の現状は変わらないし、またそこで区切りをつけることに必然性はない。報道の量に比べると驚くべき速度でその本質が風化するこの3.11について自分は常に注目していきたい。

 次に私個人の話。もちろん3.11が私に与えた影響も非常に大きいが、もう上で散々話したのであえて中心には添えずに述べる。
 今年の私にとっての重要人物は岡本太郎、ライプニッツ、レヴィ=ストロース、ロジャー・ペンローズ、フーコーあたりだろうか。岡本太郎は今年生誕100周年だったこともあり、関連書籍や展覧会が多く開かれ単に触れる機会が多かったと言うにすぎない。彼の<明日の神話>が今年という年にとってどういう意味を持つのかは大変興味深いが…。
 他の4人はいずれも基礎演習の授業で自分が深く突っ込んで勉強した人たちだ。学問体系上では特にこの4人がひとくくりにされるようなことはないが、私の中では非常に密接に結びついている。キーワードは自由、歴史、唯物論、相対性、決定論……というあたりだけど、ここで詳しく書いても仕方ないからここまでにしておく。
 ・個人レベルと集団レベルでの思考や決断、行動、習慣にかなりの差異があるということ、そしてこれが分子生物学や力学、経済学上にも見られる特徴であるという興味深い事実
 ・私たちの選択が常に自由であるとは限らないし、むしろ物理学的にはそれは決定的で、かつ社会レベルで見てもかなりの次元でそれが制約されているという可能性
 ・脳と物理学との関係
 ・いわゆる“意味のないこと”と呼ばれる人間の行為の“意味”
 ・正気と狂気を分けるものの基準と歴史性
この辺のテーマが今年よく考えたことだ。去年は芸術のテーマが多かったけど今年は哲学的なものが多いかもしれない。
 そしてtwitterでもいろんな事柄について熱く(人に寄ってはうざったかったかもしれないけど)語った。かなり大きいことを放言していたような気がするけれど、それはある意味自分に葉っぱかけてるわけで、自分の中で決めたことを淡々とこなす不言実行の人と違い、私は大口叩いて自分の後に枷作らなくてはまともに行動できない有言実行の人だという告白にすぎないのです。まずは一つ一つ行動に移さなければなるまい。まして3年にもなればシューカツとかいうイベントが待ち構えているのだから。

 来年の目標は「ものごとに優先順位をつけて、集中してそれに取り組み、最後までやりとげること」(とある本の引用)
 具体的にはTOEICとフランス語検定。それから自分なりに芸術としてのゲームについて文章をまとめる。

ではでは長い文にお付き合いありがとうございます。
よいお年を。
カレンダー
06 2017/07 08
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新コメント
[08/15 ク・ロ・ウ]
[08/15 @を]
[08/15 ク・ロ・ウ]
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
@を
性別:
非公開
職業:
学生
趣味:
考えること
自己紹介:
読書したり、ゲームしたり、美術館行ったり、考え事にふけったりしてします。哲学、美学が専攻です。
ツイッター https://twitter.com/ilya55 フォローは気軽に
バーコード
ブログ内検索
最古記事
P R
カウンター
アクセス解析
アクセス解析
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]