since2010.8.5
さて、私がこうして哲学だとか芸術だとか、こういう人間に興味の目を向けたのはいつからだったかな。とふと思ったのでちょっと書いて見ようと思う。IMERUATのBlack Ocean 聞いてたら急に文章を書きたくなってしまって、私にとっての創作意欲って文章なのかな。
はっきり覚えている私のはじめての哲学的問いは小学三年生の時、英会話を習い始めてすぐのことだった。<It is a dog.>この文に私は吐き気を覚えた。いや、それは誇張かもしれないが、ただ本当に気持ちが悪くなって軽い頭痛のようなものを感じたのは確かだ。彼(私)は田舎の生まれではないが、幼い頃からかなり強く生き物に興味を持っていたらしい。生き物、とは昆虫、鳥、両生類、魚……にとどまらず植物、キノコ類も含め、そして彼はいつの頃からかこの並びの中に人間を同列に意識していたようだ。
そしてIt is a dog.と出会った。She is a girl.なのになぜ犬はIt? 全く理解できず先生にそれを質問し、困らせた。私はこの時「何故人間は自分ばっかり特別視するのか?」「生き物ならみんな同等だろう」という想いを初めて明晰に抱いたのだ。以後、私はむしろ人間を嫌いになったように思われる。ちょうど地球温暖化に関しての報道も過熱し、また核エネルギーの恐ろしさを自由研究でまとめたその年に9.11テロが起きた。そういう人間の愚かな面を印象付ける出来事が私を囲い、そうさせたのだろう。同様の理由で私は宗教も嫌った。身勝手で、ありもしない神を信じ、人間を特別高等なものとして扱う。高校一年のある瞬間まで、私は人間も動物も物も等しくみることができると感じていた理数系の分野に非常に魅かれていた。
“ある瞬間”は突然訪れた。小学生からの友人で、私と同じく部活動に所属していなかったのでいつも一緒に帰っていたAが、ある日突然「明日昼飯を一緒に食べよう」とメールをしてきた。私は友人がいないわけではないが、あまり一緒に遊ぶことはなかったので、昼飯をどこか外で一緒に食べるということが初めてで、いささか興奮した。約束の時間にその場所へ行くと、Aはすでに先に付いていて、また私の知らない人間が隣に座っているのが分かった。年上という印象を受けた。私は自称人見知り――自称というのは他人からは人見知りと言われないため――で、また3人の集まりがとても苦手だったので、正直少し残念に思い、そして幾らか緊張した。奥まったところにある小さい机を私が壁側、Aともう一人は非壁側という構図で座った。
最初はなんてことのない話しをしていたが、私は相手が何か別の狙いがあるのだろうと、すぐに感じ始めていた。理由は定かではない。ただ相手の特にAが連れて来たやつが不自然だった。よくある会話の途切れ、ハハハという愛想笑い、沈黙。Aは突然、しかしそこしかないというタイミングで口を開いた。
「ブッポー、って知ってる?」
「いや」
聞きなれない言葉だったが、私はすぐにそれが宗教だと直感した。Aは小学生のころから、修学旅行などで突然消えることがあって、その時は決まって寺やら何やらの施設を訪れる時であった。そのことが突然、頭の中に湧きあがってハッとしたのだ。Aは何か言いながら本を出して私に見せた。やはり宗教だった(一応検索に引っ掛からないよう伏せるが日蓮宗系のブッポーである)。
私は「しめた」と思った。そういう思想上の議論は滅多にできるものでなかったし、その頃の私は何かを信仰している人間なんて弱いやつだと思っていたから、あわよくば打ち負かしてやろうと思ったのだ。とにかく興味津津だったので私はいろいろなことを質問した。納得いかないことがあれば、とりあえず理論を理解できるまで、突き詰めた。次第に彼らが冗談ではなく本気でその仏に帰依しており、どうやら私に勝ち目がないことを悟った。そもそも彼は努力家だという印象が私にはあった。話の詳細はもうあまり覚えていない。ただAが「自分が高校に合格したのもブッポーのおかげ」と宣言したことは、未だにその表情、声の調子まで思い出せる。人間はこんなに強く何かを信じることができるのか。こういう関心が全面に出てくると、もう話はどうでもよくなってきて、それまでの自分の人間嫌悪を思いなおし、純粋に人間に興味を持とうと考えた。
多分この瞬間がなければ私は哲学科には入っていなかった。そういう意味でブッポーは私を間接的に救ったのかもしれない――それが救いなのかは、まだ分からないし、また私はこのブッポー自体を信仰することはなかった。私はこのことをきっかけにかなり露骨に宗教学の本を読んだりするようになり、当然親に勧誘を受けたことを話していたので、母親に何か宗教にはまってしまったのではないかと心配された。母親は親戚に自分の推測を言いふらしたので、同じような心配を少ない親戚にもされた。逆に父はいたって冷静だった。もともと大学で歴史を専攻していたからかもしれない。もっともこの心配も私が大学に入る頃にはすっかりなくなっていたようだ。私は“変わった子”だったから。
変わった子は、4時間に及ぶ宗教勧誘を終えても元気で、とりあえずその宗教の本をもらうことにした。それが、そろそろ退屈してきていたこの状況を終わらせるのに手っ取り早いと思ったからだ――そして案の定話はとりあえずおしまいになった。Aの仲間とはそこで別れた――以来二度と会っていない。私はAをそのまま家に呼び、いつも通りゲームをして彼と別れた。次の日からもいつも通り一緒に下校した。宗教の話はあえてはしなかったが必然性があればするつもりではあった。結局そのあと、一度だけAの家に行った時再び勧誘を受けたが、私は相変わらずで、それ以来もうAの方から宗教の話をすることはなくなった。後で他の友人に聞けばAから勧誘を受けた人は数多くいたようだった。
「お前、よく普通に付き合っていられるな」
信仰の自由は法律で認められているし、信仰は私にとっては有り得ないことだが、彼にとってはそれが必然なのだから、彼に冷たくする必要はないと思っていた。
今や私は携帯電話を一度紛失したせいで、彼と交信する手段をなくしてしまった。気まずいだろうから同窓会にも来ないだろうし、もう会うこともないかもしれない。ただ私と直接会った人間で、いまのところ一番大きい影響を私に与えた人間は彼なのだ。私はAに感謝しすらしている。
こうした私の体験は奇異に映るかもしれない。でもそれはあなたの見え方でしかない。物事は複雑だから、あなたも実はあなたが思ってもみない何かから、強い影響を受けているかもしれない。またあなたは自分でも気がつかない間に誰かに強い影響を与えているかもしれない。ひょっとしたら私も……。
なんとなく小説っぽく書いてみました。ようするにIt is a dog.とAからの宗教勧誘、この二つが私が哲学科に入る大きなきっかけだと思われます。あとは高2の時の倫理の授業も影響としては大きいのですが、あくまでダメ押しできっかけではなかったと思う。
毎度毎度長い文章を読んでくれてありがとう。
はっきり覚えている私のはじめての哲学的問いは小学三年生の時、英会話を習い始めてすぐのことだった。<It is a dog.>この文に私は吐き気を覚えた。いや、それは誇張かもしれないが、ただ本当に気持ちが悪くなって軽い頭痛のようなものを感じたのは確かだ。彼(私)は田舎の生まれではないが、幼い頃からかなり強く生き物に興味を持っていたらしい。生き物、とは昆虫、鳥、両生類、魚……にとどまらず植物、キノコ類も含め、そして彼はいつの頃からかこの並びの中に人間を同列に意識していたようだ。
そしてIt is a dog.と出会った。She is a girl.なのになぜ犬はIt? 全く理解できず先生にそれを質問し、困らせた。私はこの時「何故人間は自分ばっかり特別視するのか?」「生き物ならみんな同等だろう」という想いを初めて明晰に抱いたのだ。以後、私はむしろ人間を嫌いになったように思われる。ちょうど地球温暖化に関しての報道も過熱し、また核エネルギーの恐ろしさを自由研究でまとめたその年に9.11テロが起きた。そういう人間の愚かな面を印象付ける出来事が私を囲い、そうさせたのだろう。同様の理由で私は宗教も嫌った。身勝手で、ありもしない神を信じ、人間を特別高等なものとして扱う。高校一年のある瞬間まで、私は人間も動物も物も等しくみることができると感じていた理数系の分野に非常に魅かれていた。
“ある瞬間”は突然訪れた。小学生からの友人で、私と同じく部活動に所属していなかったのでいつも一緒に帰っていたAが、ある日突然「明日昼飯を一緒に食べよう」とメールをしてきた。私は友人がいないわけではないが、あまり一緒に遊ぶことはなかったので、昼飯をどこか外で一緒に食べるということが初めてで、いささか興奮した。約束の時間にその場所へ行くと、Aはすでに先に付いていて、また私の知らない人間が隣に座っているのが分かった。年上という印象を受けた。私は自称人見知り――自称というのは他人からは人見知りと言われないため――で、また3人の集まりがとても苦手だったので、正直少し残念に思い、そして幾らか緊張した。奥まったところにある小さい机を私が壁側、Aともう一人は非壁側という構図で座った。
最初はなんてことのない話しをしていたが、私は相手が何か別の狙いがあるのだろうと、すぐに感じ始めていた。理由は定かではない。ただ相手の特にAが連れて来たやつが不自然だった。よくある会話の途切れ、ハハハという愛想笑い、沈黙。Aは突然、しかしそこしかないというタイミングで口を開いた。
「ブッポー、って知ってる?」
「いや」
聞きなれない言葉だったが、私はすぐにそれが宗教だと直感した。Aは小学生のころから、修学旅行などで突然消えることがあって、その時は決まって寺やら何やらの施設を訪れる時であった。そのことが突然、頭の中に湧きあがってハッとしたのだ。Aは何か言いながら本を出して私に見せた。やはり宗教だった(一応検索に引っ掛からないよう伏せるが日蓮宗系のブッポーである)。
私は「しめた」と思った。そういう思想上の議論は滅多にできるものでなかったし、その頃の私は何かを信仰している人間なんて弱いやつだと思っていたから、あわよくば打ち負かしてやろうと思ったのだ。とにかく興味津津だったので私はいろいろなことを質問した。納得いかないことがあれば、とりあえず理論を理解できるまで、突き詰めた。次第に彼らが冗談ではなく本気でその仏に帰依しており、どうやら私に勝ち目がないことを悟った。そもそも彼は努力家だという印象が私にはあった。話の詳細はもうあまり覚えていない。ただAが「自分が高校に合格したのもブッポーのおかげ」と宣言したことは、未だにその表情、声の調子まで思い出せる。人間はこんなに強く何かを信じることができるのか。こういう関心が全面に出てくると、もう話はどうでもよくなってきて、それまでの自分の人間嫌悪を思いなおし、純粋に人間に興味を持とうと考えた。
多分この瞬間がなければ私は哲学科には入っていなかった。そういう意味でブッポーは私を間接的に救ったのかもしれない――それが救いなのかは、まだ分からないし、また私はこのブッポー自体を信仰することはなかった。私はこのことをきっかけにかなり露骨に宗教学の本を読んだりするようになり、当然親に勧誘を受けたことを話していたので、母親に何か宗教にはまってしまったのではないかと心配された。母親は親戚に自分の推測を言いふらしたので、同じような心配を少ない親戚にもされた。逆に父はいたって冷静だった。もともと大学で歴史を専攻していたからかもしれない。もっともこの心配も私が大学に入る頃にはすっかりなくなっていたようだ。私は“変わった子”だったから。
変わった子は、4時間に及ぶ宗教勧誘を終えても元気で、とりあえずその宗教の本をもらうことにした。それが、そろそろ退屈してきていたこの状況を終わらせるのに手っ取り早いと思ったからだ――そして案の定話はとりあえずおしまいになった。Aの仲間とはそこで別れた――以来二度と会っていない。私はAをそのまま家に呼び、いつも通りゲームをして彼と別れた。次の日からもいつも通り一緒に下校した。宗教の話はあえてはしなかったが必然性があればするつもりではあった。結局そのあと、一度だけAの家に行った時再び勧誘を受けたが、私は相変わらずで、それ以来もうAの方から宗教の話をすることはなくなった。後で他の友人に聞けばAから勧誘を受けた人は数多くいたようだった。
「お前、よく普通に付き合っていられるな」
信仰の自由は法律で認められているし、信仰は私にとっては有り得ないことだが、彼にとってはそれが必然なのだから、彼に冷たくする必要はないと思っていた。
今や私は携帯電話を一度紛失したせいで、彼と交信する手段をなくしてしまった。気まずいだろうから同窓会にも来ないだろうし、もう会うこともないかもしれない。ただ私と直接会った人間で、いまのところ一番大きい影響を私に与えた人間は彼なのだ。私はAに感謝しすらしている。
こうした私の体験は奇異に映るかもしれない。でもそれはあなたの見え方でしかない。物事は複雑だから、あなたも実はあなたが思ってもみない何かから、強い影響を受けているかもしれない。またあなたは自分でも気がつかない間に誰かに強い影響を与えているかもしれない。ひょっとしたら私も……。
なんとなく小説っぽく書いてみました。ようするにIt is a dog.とAからの宗教勧誘、この二つが私が哲学科に入る大きなきっかけだと思われます。あとは高2の時の倫理の授業も影響としては大きいのですが、あくまでダメ押しできっかけではなかったと思う。
毎度毎度長い文章を読んでくれてありがとう。
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今年ももうすぐ終わりですから最後くらいまとめ的な日記を付ける。
今年は何よりも3.11があったことが大きいわけで、本当に言葉通りあの日、あるいはあの災害を思わない日、聞かない日はなかったんじゃないかと思うくらいだった。もちろん年の節目が3.11という出来事に対して何らかの区切りをつけるわけではないんだけれども、それでもやはり2011年という年が終わるということは例年とは違った雰囲気があると感じる。
思えば日本においては未曾有の災害が起こり、そして原発事故があった一方で、アラブの春と呼ばれる中東を揺るがす事態が起こり、安定だと思われていたユーロ圏が崩壊の危機に立たされ、あのアメリカで利権を独占する資本家への反発デモが起こった。原子力エネルギー、EU、資本主義……現代の社会基盤を構成するうちの多くのものが突然(それは予定された必然でもあったが)、危ういものへと変わっていった。
明らかに、日本にとっても世界にとっても2011年という年はそこで歴史の線引きがあっても何にもおかしくない年だったように思う。
しかしながら日本にあるこの得も言われぬ倦怠、諦念、無力……俗な言い方をすればこの年はまさに“ピンチはチャンス”という言葉を意識すべきであったのに、本当に驚くくらいに何も変化がない。いや正確には変わっているんだけど上っ面で表面的、一部の人間が本気で動いてもどこか冷やかな態度で迎えられる。もちろん時代は唐突に以前あったものが消滅し新しいものがぽっと出るものではないが、それにしてもひどいように思う。しかもそんな中でTPPや武器輸出法の見直し(そしてこれからくる消費税)などの大切な問題はよく議論もされないままに、震災という大きな問題の裏でいわばまかり通ってしまった。
そして個人のレベルはどうだろうか? とりあえず、私の近辺を見ると明確に(震災、人災を含めた)3.11を意識しって講義を取り行った教授は3人。そして何らかの形でこれに関わった教授は数人。会話の中で積極的にこの問題について話す友人、教授も数人しかいない。別に表だって話題にしなければならないというわけではないし、重要なのはまず個人のレベルで心の中だけでもこれについて考えていくことだ。ただ私が所属する思考を主題とする哲学科においてこのレベルというのは結構私の中では落ち込んだ。むしろ哲学科だから浮世離れしてこういう問題に関わりたがらない、とも言えるかもしれないが…。
ただ、最初の方で言ったように2011年が2012年に変わったところで被災した人々の現状は変わらないし、またそこで区切りをつけることに必然性はない。報道の量に比べると驚くべき速度でその本質が風化するこの3.11について自分は常に注目していきたい。
次に私個人の話。もちろん3.11が私に与えた影響も非常に大きいが、もう上で散々話したのであえて中心には添えずに述べる。
今年の私にとっての重要人物は岡本太郎、ライプニッツ、レヴィ=ストロース、ロジャー・ペンローズ、フーコーあたりだろうか。岡本太郎は今年生誕100周年だったこともあり、関連書籍や展覧会が多く開かれ単に触れる機会が多かったと言うにすぎない。彼の<明日の神話>が今年という年にとってどういう意味を持つのかは大変興味深いが…。
他の4人はいずれも基礎演習の授業で自分が深く突っ込んで勉強した人たちだ。学問体系上では特にこの4人がひとくくりにされるようなことはないが、私の中では非常に密接に結びついている。キーワードは自由、歴史、唯物論、相対性、決定論……というあたりだけど、ここで詳しく書いても仕方ないからここまでにしておく。
・個人レベルと集団レベルでの思考や決断、行動、習慣にかなりの差異があるということ、そしてこれが分子生物学や力学、経済学上にも見られる特徴であるという興味深い事実
・私たちの選択が常に自由であるとは限らないし、むしろ物理学的にはそれは決定的で、かつ社会レベルで見てもかなりの次元でそれが制約されているという可能性
・脳と物理学との関係
・いわゆる“意味のないこと”と呼ばれる人間の行為の“意味”
・正気と狂気を分けるものの基準と歴史性
この辺のテーマが今年よく考えたことだ。去年は芸術のテーマが多かったけど今年は哲学的なものが多いかもしれない。
そしてtwitterでもいろんな事柄について熱く(人に寄ってはうざったかったかもしれないけど)語った。かなり大きいことを放言していたような気がするけれど、それはある意味自分に葉っぱかけてるわけで、自分の中で決めたことを淡々とこなす不言実行の人と違い、私は大口叩いて自分の後に枷作らなくてはまともに行動できない有言実行の人だという告白にすぎないのです。まずは一つ一つ行動に移さなければなるまい。まして3年にもなればシューカツとかいうイベントが待ち構えているのだから。
来年の目標は「ものごとに優先順位をつけて、集中してそれに取り組み、最後までやりとげること」(とある本の引用)
具体的にはTOEICとフランス語検定。それから自分なりに芸術としてのゲームについて文章をまとめる。
ではでは長い文にお付き合いありがとうございます。
よいお年を。
今年は何よりも3.11があったことが大きいわけで、本当に言葉通りあの日、あるいはあの災害を思わない日、聞かない日はなかったんじゃないかと思うくらいだった。もちろん年の節目が3.11という出来事に対して何らかの区切りをつけるわけではないんだけれども、それでもやはり2011年という年が終わるということは例年とは違った雰囲気があると感じる。
思えば日本においては未曾有の災害が起こり、そして原発事故があった一方で、アラブの春と呼ばれる中東を揺るがす事態が起こり、安定だと思われていたユーロ圏が崩壊の危機に立たされ、あのアメリカで利権を独占する資本家への反発デモが起こった。原子力エネルギー、EU、資本主義……現代の社会基盤を構成するうちの多くのものが突然(それは予定された必然でもあったが)、危ういものへと変わっていった。
明らかに、日本にとっても世界にとっても2011年という年はそこで歴史の線引きがあっても何にもおかしくない年だったように思う。
しかしながら日本にあるこの得も言われぬ倦怠、諦念、無力……俗な言い方をすればこの年はまさに“ピンチはチャンス”という言葉を意識すべきであったのに、本当に驚くくらいに何も変化がない。いや正確には変わっているんだけど上っ面で表面的、一部の人間が本気で動いてもどこか冷やかな態度で迎えられる。もちろん時代は唐突に以前あったものが消滅し新しいものがぽっと出るものではないが、それにしてもひどいように思う。しかもそんな中でTPPや武器輸出法の見直し(そしてこれからくる消費税)などの大切な問題はよく議論もされないままに、震災という大きな問題の裏でいわばまかり通ってしまった。
そして個人のレベルはどうだろうか? とりあえず、私の近辺を見ると明確に(震災、人災を含めた)3.11を意識しって講義を取り行った教授は3人。そして何らかの形でこれに関わった教授は数人。会話の中で積極的にこの問題について話す友人、教授も数人しかいない。別に表だって話題にしなければならないというわけではないし、重要なのはまず個人のレベルで心の中だけでもこれについて考えていくことだ。ただ私が所属する思考を主題とする哲学科においてこのレベルというのは結構私の中では落ち込んだ。むしろ哲学科だから浮世離れしてこういう問題に関わりたがらない、とも言えるかもしれないが…。
ただ、最初の方で言ったように2011年が2012年に変わったところで被災した人々の現状は変わらないし、またそこで区切りをつけることに必然性はない。報道の量に比べると驚くべき速度でその本質が風化するこの3.11について自分は常に注目していきたい。
次に私個人の話。もちろん3.11が私に与えた影響も非常に大きいが、もう上で散々話したのであえて中心には添えずに述べる。
今年の私にとっての重要人物は岡本太郎、ライプニッツ、レヴィ=ストロース、ロジャー・ペンローズ、フーコーあたりだろうか。岡本太郎は今年生誕100周年だったこともあり、関連書籍や展覧会が多く開かれ単に触れる機会が多かったと言うにすぎない。彼の<明日の神話>が今年という年にとってどういう意味を持つのかは大変興味深いが…。
他の4人はいずれも基礎演習の授業で自分が深く突っ込んで勉強した人たちだ。学問体系上では特にこの4人がひとくくりにされるようなことはないが、私の中では非常に密接に結びついている。キーワードは自由、歴史、唯物論、相対性、決定論……というあたりだけど、ここで詳しく書いても仕方ないからここまでにしておく。
・個人レベルと集団レベルでの思考や決断、行動、習慣にかなりの差異があるということ、そしてこれが分子生物学や力学、経済学上にも見られる特徴であるという興味深い事実
・私たちの選択が常に自由であるとは限らないし、むしろ物理学的にはそれは決定的で、かつ社会レベルで見てもかなりの次元でそれが制約されているという可能性
・脳と物理学との関係
・いわゆる“意味のないこと”と呼ばれる人間の行為の“意味”
・正気と狂気を分けるものの基準と歴史性
この辺のテーマが今年よく考えたことだ。去年は芸術のテーマが多かったけど今年は哲学的なものが多いかもしれない。
そしてtwitterでもいろんな事柄について熱く(人に寄ってはうざったかったかもしれないけど)語った。かなり大きいことを放言していたような気がするけれど、それはある意味自分に葉っぱかけてるわけで、自分の中で決めたことを淡々とこなす不言実行の人と違い、私は大口叩いて自分の後に枷作らなくてはまともに行動できない有言実行の人だという告白にすぎないのです。まずは一つ一つ行動に移さなければなるまい。まして3年にもなればシューカツとかいうイベントが待ち構えているのだから。
来年の目標は「ものごとに優先順位をつけて、集中してそれに取り組み、最後までやりとげること」(とある本の引用)
具体的にはTOEICとフランス語検定。それから自分なりに芸術としてのゲームについて文章をまとめる。
ではでは長い文にお付き合いありがとうございます。
よいお年を。
どうしたら本気になれるだろう。夏休みの前はいろいろやりたいと思ってたこと、結局ほとんどどれも達成してない。できたのは旅行と美術館巡りと相対性理論の勉強だけ。
結局ぬるま湯に浸かってるんだよね、多分。これでも自分はかなり自分にムチ打ってる方で、楽な授業を取ろうなんて思わないし、友達が取ってるから一緒にこの講義とろうとも思わないし、ノートを写させてと頼んだこともほぼない。
もともと楽な場所にいると人間腐ってくって信条だから、いつも背水の陣でいたいと思ってるけどそれでもどこか甘えてる。
今まで苦手だし嫌いだからしてこなかったけど、計画表というかそれ的な者でも作ってやってみようか。いろんなハウツー本があるからきっと「How to やる気出す」もあるだろうけど、そういうのは例え時間がかかっても自分で探すべきだ。
テストとか受験とか、差し迫ったものがきて初めてやる気を出して乗り切るか、あるいはたまたまレポートが好きなことでそれにひたすら没頭してたけど、これからは――本当は大学入ったその時から――能動的に動かなきゃいけないんだよね。頭では分かってたけど…いや知ってたけど分かってなかった。
しっかりしよう。
とりあえずやりたいのにやってないこと
・英語TOEIC
・フランス語検定
・プログラミング
・理系科目(物理、生物、数学)
・ゲームとりわけRPG(プレステ3買おうと思ってる)
・哲学書原書を読む(実はヘーゲル一冊も読んでない)
・アフリカ史の勉強
・19~20世紀イギリスが舞台の映画とか本とか沢山触れる
明らかに時間を無駄にしてる時
・ニコニコ動画
・昼寝(悪いことじゃないけど寝すぎな時がある)
・バイト(シフト入りすぎ)
・テレビ(見る番組決めた方がいい)
・ゲーム(無駄にスマブラでCPと対戦したり)
結局ぬるま湯に浸かってるんだよね、多分。これでも自分はかなり自分にムチ打ってる方で、楽な授業を取ろうなんて思わないし、友達が取ってるから一緒にこの講義とろうとも思わないし、ノートを写させてと頼んだこともほぼない。
もともと楽な場所にいると人間腐ってくって信条だから、いつも背水の陣でいたいと思ってるけどそれでもどこか甘えてる。
今まで苦手だし嫌いだからしてこなかったけど、計画表というかそれ的な者でも作ってやってみようか。いろんなハウツー本があるからきっと「How to やる気出す」もあるだろうけど、そういうのは例え時間がかかっても自分で探すべきだ。
テストとか受験とか、差し迫ったものがきて初めてやる気を出して乗り切るか、あるいはたまたまレポートが好きなことでそれにひたすら没頭してたけど、これからは――本当は大学入ったその時から――能動的に動かなきゃいけないんだよね。頭では分かってたけど…いや知ってたけど分かってなかった。
しっかりしよう。
とりあえずやりたいのにやってないこと
・英語TOEIC
・フランス語検定
・プログラミング
・理系科目(物理、生物、数学)
・ゲームとりわけRPG(プレステ3買おうと思ってる)
・哲学書原書を読む(実はヘーゲル一冊も読んでない)
・アフリカ史の勉強
・19~20世紀イギリスが舞台の映画とか本とか沢山触れる
明らかに時間を無駄にしてる時
・ニコニコ動画
・昼寝(悪いことじゃないけど寝すぎな時がある)
・バイト(シフト入りすぎ)
・テレビ(見る番組決めた方がいい)
・ゲーム(無駄にスマブラでCPと対戦したり)
早いものでもうあの震災からもう半年経ちました。
私は3.11の経験で「日本は大きく変わるだろう」「パラダイムシフトの時が来た」と思いつつも、実際にはそんなに短期間で変わらないか…と冷静になりつつ、しかしやはり何かしら変化するはずだ、と心のどこかで期待してたような気がします。ところがまぁ残念なことに半年経っての現状は私の控えめな期待にすら遥かに及ばないくらい“変わってない”っつうのが正直なところです。もちろん被災地には劇的な変化があったし、それは現在進行形なのですが、非被災地とでもいいましょうか、つまり東北の地域以外の日本にはあまり変化が見られない、と。
もちろん3.11の直後はものが思うように買えず、大規模な節電が行われ、CMはACばっかりだったりと非被災地にも何かしらの影響はありました。しかし夏に入ったくらいから渋谷の大スクリーンは昼間から大音量でCMを流し、電車のダイヤは元に戻り始め、ニュースはあまり被災地のことを本質的な意味で報じなくなり、政治家はいつも通り派閥争いを始めました。良くも悪くも日常を取り戻しつつあるということです。本来あるべきであったあらゆる議論、そすて何より被災者を置き去りにして。
まずは報道です。震災当時フジテレビが親を亡くした子供に密着しそれを特番にした時、ひどいバッシングがありました。私はTwitterでこのやり方を、死という現実を死者の数だけで報じるよりも遥かに私たちに迫ってくるし残酷なことを報道することも時にはメディアの役割だ、ということを呟いたと思います。これに反応してくださった方がいて「確かにそうだがタイミングを間違えてる」と意見をもらい、ああそうかもしれないな、とその時は少し落ち着いて考えたのですが、結局今の報道はどうでしょうか? 流れてくる被災地のニュースは「今日は○○(芸能人)さんが被災地に赴きこんなことをして、子供たちは大喜びでした」「被災した○○さんにはこんないいことがありました」みたいな美談ばかり、本質的な被災地の現状を伝えているのかはなはだ疑問です。私自身がそこへは行っていないから大きなことは言えないですが、実際にそこへ行った親の話だと本当に復興という言葉を軽々しく口に出来る状態ではなかったとのことでした。何も暗いニュースだけを流せというわけではないですが、日本人が知るべきは現実だと思うわけです。
報道だけでなくこれに関しては政治屋(バカにして使う言葉)もそうですが、原子力発電関係のニュースでもやはり肝心なところから目を背けたものになってるなぁと感じます。3.11の経験はそもそも脱原発か続行かという単純な選択を迫るものでははないです。もちろんそれも含むのですがあくまで“含む”であり、問題はもっと大きなところにあり、具体的に言葉で表せば「経済至上主義は正しかったのか」ってところまで遡る問題でした。
脱原発を口にすると必ず、経済はどうなるのか? その地の原発関連の莫大な雇用はどうするのか? っていう反論がでてきます。問題なのはそこではなく、結局日本は経済発展の名の下に地方の人々の頬を札束でひっぱたき感覚を麻痺させ核のリスクを押し付けたという事実が意味するところを考え直すべきなのに…(これとよく似た構造が米軍基地問題にあります)。端的に言えば命を金に預けるようなことが普通に行われたってことです。だから3.11を経て私たちは経済さえよくなればいいのかな? ってことを考えなきゃならんという話。実際とっつきにくい複雑な問題でなかなか議論しにくいことではあるのですが、この震災でやっと真剣に考えるチャンスがめぐって来たはずだったのです。
しかし半年経った今もこういう根源的な問題に言及する政治家もコメンテーターもあまりいません。閣僚のくだらない失言を延々と野党が煽りたてメディアをその様子を報道するという日常があり、与党は与党で未だに派閥争いを繰り広げている日常がある。
こういうことが私が3.11以降の日本にあまり変化がないという所以です。なんの因縁なのか9.11も今年で10年目という節を迎えるのですが、やはりアメリカも9.11を経験して本来あるべきであった議論をしないできました。押し付けまがいの民主主義の正義や、武力による(彼らの言うところの)悪の制圧…。アメリカは10年経ってビンラディンを殺しましたが、それは虚しい成果です。日本は10年後どうなっているでしょうか? というか10年後は自分らの世代が日本を率いる時なんですよね…。だから私は狭い見識ながらこんな文章を書かなきゃならんと義務感に煽られているのです。
暗い話ばかりだったので最後に私が3.11以降の良いと思った変化を書き連ねようと思います。
・島耕作が3.11の経験で経済至上主義に改めて疑問を投げかけたこと
・日テレがいつもなら不謹慎とか言って放送できないような映画「地球が静止する日」を震災から二カ月くらいで流したこと
・日本の現代芸術家の作品を集めたZIPANG展が震災をきっかけに開かれたこと
・東京国立近代美術館で東北にちなんだ展示があったこと
・マスコミと政治家はともかく、twitterとか友達レベルでは今までなかったような議論がみんなの間に生まれたこと
・
・
・
まだまだありそうですがこの辺にしときます。
長い文章読んでくれた方に感謝します。
ではでは。
私は3.11の経験で「日本は大きく変わるだろう」「パラダイムシフトの時が来た」と思いつつも、実際にはそんなに短期間で変わらないか…と冷静になりつつ、しかしやはり何かしら変化するはずだ、と心のどこかで期待してたような気がします。ところがまぁ残念なことに半年経っての現状は私の控えめな期待にすら遥かに及ばないくらい“変わってない”っつうのが正直なところです。もちろん被災地には劇的な変化があったし、それは現在進行形なのですが、非被災地とでもいいましょうか、つまり東北の地域以外の日本にはあまり変化が見られない、と。
もちろん3.11の直後はものが思うように買えず、大規模な節電が行われ、CMはACばっかりだったりと非被災地にも何かしらの影響はありました。しかし夏に入ったくらいから渋谷の大スクリーンは昼間から大音量でCMを流し、電車のダイヤは元に戻り始め、ニュースはあまり被災地のことを本質的な意味で報じなくなり、政治家はいつも通り派閥争いを始めました。良くも悪くも日常を取り戻しつつあるということです。本来あるべきであったあらゆる議論、そすて何より被災者を置き去りにして。
まずは報道です。震災当時フジテレビが親を亡くした子供に密着しそれを特番にした時、ひどいバッシングがありました。私はTwitterでこのやり方を、死という現実を死者の数だけで報じるよりも遥かに私たちに迫ってくるし残酷なことを報道することも時にはメディアの役割だ、ということを呟いたと思います。これに反応してくださった方がいて「確かにそうだがタイミングを間違えてる」と意見をもらい、ああそうかもしれないな、とその時は少し落ち着いて考えたのですが、結局今の報道はどうでしょうか? 流れてくる被災地のニュースは「今日は○○(芸能人)さんが被災地に赴きこんなことをして、子供たちは大喜びでした」「被災した○○さんにはこんないいことがありました」みたいな美談ばかり、本質的な被災地の現状を伝えているのかはなはだ疑問です。私自身がそこへは行っていないから大きなことは言えないですが、実際にそこへ行った親の話だと本当に復興という言葉を軽々しく口に出来る状態ではなかったとのことでした。何も暗いニュースだけを流せというわけではないですが、日本人が知るべきは現実だと思うわけです。
報道だけでなくこれに関しては政治屋(バカにして使う言葉)もそうですが、原子力発電関係のニュースでもやはり肝心なところから目を背けたものになってるなぁと感じます。3.11の経験はそもそも脱原発か続行かという単純な選択を迫るものでははないです。もちろんそれも含むのですがあくまで“含む”であり、問題はもっと大きなところにあり、具体的に言葉で表せば「経済至上主義は正しかったのか」ってところまで遡る問題でした。
脱原発を口にすると必ず、経済はどうなるのか? その地の原発関連の莫大な雇用はどうするのか? っていう反論がでてきます。問題なのはそこではなく、結局日本は経済発展の名の下に地方の人々の頬を札束でひっぱたき感覚を麻痺させ核のリスクを押し付けたという事実が意味するところを考え直すべきなのに…(これとよく似た構造が米軍基地問題にあります)。端的に言えば命を金に預けるようなことが普通に行われたってことです。だから3.11を経て私たちは経済さえよくなればいいのかな? ってことを考えなきゃならんという話。実際とっつきにくい複雑な問題でなかなか議論しにくいことではあるのですが、この震災でやっと真剣に考えるチャンスがめぐって来たはずだったのです。
しかし半年経った今もこういう根源的な問題に言及する政治家もコメンテーターもあまりいません。閣僚のくだらない失言を延々と野党が煽りたてメディアをその様子を報道するという日常があり、与党は与党で未だに派閥争いを繰り広げている日常がある。
こういうことが私が3.11以降の日本にあまり変化がないという所以です。なんの因縁なのか9.11も今年で10年目という節を迎えるのですが、やはりアメリカも9.11を経験して本来あるべきであった議論をしないできました。押し付けまがいの民主主義の正義や、武力による(彼らの言うところの)悪の制圧…。アメリカは10年経ってビンラディンを殺しましたが、それは虚しい成果です。日本は10年後どうなっているでしょうか? というか10年後は自分らの世代が日本を率いる時なんですよね…。だから私は狭い見識ながらこんな文章を書かなきゃならんと義務感に煽られているのです。
暗い話ばかりだったので最後に私が3.11以降の良いと思った変化を書き連ねようと思います。
・島耕作が3.11の経験で経済至上主義に改めて疑問を投げかけたこと
・日テレがいつもなら不謹慎とか言って放送できないような映画「地球が静止する日」を震災から二カ月くらいで流したこと
・日本の現代芸術家の作品を集めたZIPANG展が震災をきっかけに開かれたこと
・東京国立近代美術館で東北にちなんだ展示があったこと
・マスコミと政治家はともかく、twitterとか友達レベルでは今までなかったような議論がみんなの間に生まれたこと
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まだまだありそうですがこの辺にしときます。
長い文章読んでくれた方に感謝します。
ではでは。
今朝帰ってまいりました。京都伊勢名古屋の旅、楽しくてよかった。去年と同じくなんとなく報告。
一日目
夜行バスで朝5時40分に京都到着。ホテルまで歩いたら片道30分もあってクタクタ。東本願寺によって涼む。
新幹線組と合流後、銀閣・金閣・竜安寺・仁和寺をめぐる。
銀閣・金閣は二回目だし見て終わる感じだったけど、竜安寺と仁和寺は縁側でかなりまったりとしていい時間を過ごせたと思う。仁和寺では五重塔を前にスケッチもした。木造建築や木の多い場所は本当に涼しくてよい。都会は暑すぎる。
ホテルの部屋は私を含め飲兵衛二人だったので赤ワインと日本酒二本を開けるの巻。
二日目
この日は京都をちょろっと回った後は伊勢への移動がメイン。
京都では清水寺を見た後で私たっての希望で錦市場へGo
漬物、ハモ料理、アナゴ焼き、アワビなどいろいろ美味しいものを頂く。京都駅でキャンティの赤が安売りしてたので購入。
二時間電車にゆられ五十鈴ナントカ駅に到着。バスが来るまでイーオンで買い物、ロゼを一本購入。てか多分この辺の駅を某氏は使ってるのかな? ひょっとすると。
そのあと宿で男だけで飲み会。なんのかんの一番楽しかったような気がする。2本のワイン、3本の日本酒、焼酎、ビール缶3本、チューハイ系18本が消費されたのは凄いと思う。先輩に食道楽と言われる。
三日目
伊勢神宮の下宮内宮をガイドさんに案内してもらう。蜂が多くて恐かった。それはともかく20年ごとの遷宮があるとはいえここまで朽ちるまで建築を放っておくのか、と思った。ガイドさんは遷宮をよみがえりに結び付けてたけど、それじゃあどうも仏教ぽいしやっぱり技術伝承が根本にあるんじゃないかと考えた。
内宮の近くにある商店街(?)でいろいろお買いもの。日本酒はあまり飲まないけど白鷹を試飲したら意外にいけたので購入。そのた土産物屋でいろいろ購入。松坂牛もちゃんと食べたよ。
そして名古屋へ…。最後の夜なので女子を含めた飲み会。席はくじ引き、向かい合った女子とそれなりにお話し弾んだのでアドレスを貰う。同じタイミングでアドレス訊いた男子がいたけど断られててかわいそうだった。というか酔っ払いにからまれる度にこっちに目を向けて助けを求めないでくれ。
2次会で先輩に「結局男は顔なんだよ。だからあいつはアドレス教えてもらえた」とか言われる。悲しいかな一回ケータイ失くしたので私のアドレス帳に女性の名前は家族除けば3人しかいません。それにイケメンではない。
四日目
名古屋を自由に見学。名古屋城行った後に徳川美術館に行った。名古屋城ないでは屏風の古いものと復元図が展示してあったけど私はやはり古いのが好きだった。「日本の絵画は年をとる」なんてことを考えた。伊勢神宮しかり竜安寺しかり。
昼飯食べに栄へ。SKE48が栄であることを知る。博多ラーメンで限定十食の鶏の塩ラーメンを美味しく頂いた。そのあとポケモンセンターにちょっと寄る。BWはプレイしていないから知らないポケモンが多かったかな。あとなんでズルッグ(?)は人気なのか分からない。サトシの手持ちなのか?
徳川美術館では琳派の画集があって欲しかったけど揃えて13万越えだったので余裕で諦める。帰りの時間まで厳しくあまり長居できなかったのが残念。
15時に新幹線で帰る人を見送り、自分を含め3人で23時の夜行バスまで暇つぶし。なんのかんの高島屋の東京ハンズと本屋で4時間近く使い、サイゼで2時間、あとは待合室で2時間しゃべくり。んでバス乗って帰って今に至る。
なんか飲んで食ってばっかりのような気がする…。でも楽しかったからいいかな。来年はひょっとすると留学して参加できないかもしれないのが残念。
疲れてるからこの辺で、ではでは。
一日目
夜行バスで朝5時40分に京都到着。ホテルまで歩いたら片道30分もあってクタクタ。東本願寺によって涼む。
新幹線組と合流後、銀閣・金閣・竜安寺・仁和寺をめぐる。
銀閣・金閣は二回目だし見て終わる感じだったけど、竜安寺と仁和寺は縁側でかなりまったりとしていい時間を過ごせたと思う。仁和寺では五重塔を前にスケッチもした。木造建築や木の多い場所は本当に涼しくてよい。都会は暑すぎる。
ホテルの部屋は私を含め飲兵衛二人だったので赤ワインと日本酒二本を開けるの巻。
二日目
この日は京都をちょろっと回った後は伊勢への移動がメイン。
京都では清水寺を見た後で私たっての希望で錦市場へGo
漬物、ハモ料理、アナゴ焼き、アワビなどいろいろ美味しいものを頂く。京都駅でキャンティの赤が安売りしてたので購入。
二時間電車にゆられ五十鈴ナントカ駅に到着。バスが来るまでイーオンで買い物、ロゼを一本購入。てか多分この辺の駅を某氏は使ってるのかな? ひょっとすると。
そのあと宿で男だけで飲み会。なんのかんの一番楽しかったような気がする。2本のワイン、3本の日本酒、焼酎、ビール缶3本、チューハイ系18本が消費されたのは凄いと思う。先輩に食道楽と言われる。
三日目
伊勢神宮の下宮内宮をガイドさんに案内してもらう。蜂が多くて恐かった。それはともかく20年ごとの遷宮があるとはいえここまで朽ちるまで建築を放っておくのか、と思った。ガイドさんは遷宮をよみがえりに結び付けてたけど、それじゃあどうも仏教ぽいしやっぱり技術伝承が根本にあるんじゃないかと考えた。
内宮の近くにある商店街(?)でいろいろお買いもの。日本酒はあまり飲まないけど白鷹を試飲したら意外にいけたので購入。そのた土産物屋でいろいろ購入。松坂牛もちゃんと食べたよ。
そして名古屋へ…。最後の夜なので女子を含めた飲み会。席はくじ引き、向かい合った女子とそれなりにお話し弾んだのでアドレスを貰う。同じタイミングでアドレス訊いた男子がいたけど断られててかわいそうだった。というか酔っ払いにからまれる度にこっちに目を向けて助けを求めないでくれ。
2次会で先輩に「結局男は顔なんだよ。だからあいつはアドレス教えてもらえた」とか言われる。悲しいかな一回ケータイ失くしたので私のアドレス帳に女性の名前は家族除けば3人しかいません。それにイケメンではない。
四日目
名古屋を自由に見学。名古屋城行った後に徳川美術館に行った。名古屋城ないでは屏風の古いものと復元図が展示してあったけど私はやはり古いのが好きだった。「日本の絵画は年をとる」なんてことを考えた。伊勢神宮しかり竜安寺しかり。
昼飯食べに栄へ。SKE48が栄であることを知る。博多ラーメンで限定十食の鶏の塩ラーメンを美味しく頂いた。そのあとポケモンセンターにちょっと寄る。BWはプレイしていないから知らないポケモンが多かったかな。あとなんでズルッグ(?)は人気なのか分からない。サトシの手持ちなのか?
徳川美術館では琳派の画集があって欲しかったけど揃えて13万越えだったので余裕で諦める。帰りの時間まで厳しくあまり長居できなかったのが残念。
15時に新幹線で帰る人を見送り、自分を含め3人で23時の夜行バスまで暇つぶし。なんのかんの高島屋の東京ハンズと本屋で4時間近く使い、サイゼで2時間、あとは待合室で2時間しゃべくり。んでバス乗って帰って今に至る。
なんか飲んで食ってばっかりのような気がする…。でも楽しかったからいいかな。来年はひょっとすると留学して参加できないかもしれないのが残念。
疲れてるからこの辺で、ではでは。
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