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「どうして哲学を学ぶの?」
「哲学なんてやってどうするの?」
「将来の役にたたないよね」

大学で哲学(正確には美学)を学ぼうを決めたその瞬間から親戚、先生、友人あらゆる人からよく言われた、そして言われている言葉です。人の勝手でしょとは思いつつも私なりに考えはあります。
そもそも大学に行くに当たって就職を念頭に置かなくちゃならないなんていう決まりはないので質問自体が愚問だぞ? と思うわけです。

これは実際に大学に入学して気づいたことですが、なんとなく入学した人、都会に出たくて入学した人、就職に有利だから入学した人の多いこと多いこと。彼らが常々口にするのはいかに楽な授業を選択し、いかに上手く授業をサボり、そして余った時間でどれだけ多く遊ぶか、ということです。テスト前なると突然教室が混雑し、そして後の方の席が騒がしくなり、ノートのコピーを催促する輩が増えてくる。これも彼らが主な原因だろうと思います。こういう人たちは高校4年生気分なんだろうなぁ、と感じる日々。
 何のために大学に行くかっていうのはまぁ実際には難しい問題で、特に現代は若者が夢を失いがちらしいので仕方のないことかもしれませんが、大概の人が親に大金払わせていながら授業をサボることばかり考えているのは残念だなぁ、と。第一高校の時点で興味を持てるものが一つもないってことはないと思うんです。いやこれも理想なんですけど、実際18年近く生きて何にも興味ないなんて悲しすぎると思いませんかね。
 で、興味のあるものがあればそれについての大学に入る、と。ただし一方で自分の興味のあることを大学に入り深く勉強することで、一体将来何になるのか? という大学=就職予備校的なイメージによってこの興味関心は薄れ、濁り結局は興味のあることがない、ということもあり得そう。

私が一番残念に思うのはこの大学=就職予備校のイメージです。
実際学者にでもならない限り、人生でここまで好きなことに対して学び通せるっていう機会は大学が最後なんですよ、多分。そんな貴重な時間を就職という社会生活上ほぼ必然的に起こるイベントのために潰してしまうのは実にもったいない。実際削る必要性はあります。ただ近年は削りすぎでは、とも思います。
 なりたくもない職業の資格を就職に有利そうという理由のために時間を削りに削り、大卒のレッテルのためにとりあえず授業にだけは出て寝る。嗚呼なんてもったいないことかー。と思うわけですよ。

哲学美学? えぇ就職では不利と言われてますよ。でも私はこれが学びたいことなんです。私には学者以外の夢がありますから社会にでなきゃいけないです。だから人生最後に自分のやりたい学問を夢中になって学ぶんです。
 まぁ実際には私は就職を見据えての選択なんですけどね。私が哲学美学を学ぶのはwantであって同時にmustなんですよ。いつかドラマで「mustじゃないの、wantなの(キリッ」なんていうキャリアウーマンのセリフがありましたが、私にしてみればお笑い草なんだよ!

 私みたいなケースは少ないと思いますけど、人生最後の学びが主役の場所だもの、wantで動いたっていいじゃぁないか。これが私の主張であります。

でも実はこうやって自身の一種快楽を追求した私が就活で上手くいかず、適当に大学に通いつつもしっかり資格をとってる人が就活で上手くいくっていうのはあるかもしれない、いやむしろそっちの方が多いかも? その時彼らは私を笑うでしょうけど、私も彼らを笑うのですよん。
きっと泣きながら(;ω;)<君たちは勉強という快楽を未経験なのさ~

あ、こんなこと書くと勘違いされそうですから一応断っておきますが、私とて二日酔いで授業に出れないこともあったし、授業中寝てしまうこともあります。別に友人の誘いを断り続け一人もくもくと机に向かっているわけでもないです。
 なんたって青春を本当の意味で謳歌できるのもまた大学までですから、私はそれも無駄にはしないようにしたいのです。
 欲張り? ここまで学問と青春は大学までだ、と言っておきながら私の座右の銘は「一生勉強一生青春」(みつお)ですから仕方ない。ただ本当に他の何にもとらわれずに勉強、青春に励めるのはきっと大学までだと思うのですよ。今しかできないことを!

ではでは、この辺で。
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これは別に今日思ったことではないんだ。前々から感じてたことだけど書く機会がなかったというかね、せっかくブログ作ったから二日目くらいは書こうというかね。

もう物心ついた時には自動ドアは割と普及してたと思うのですが、未だに慣れません。アレなんですよ、私がドアに近づくだけでドアが開き「いらっしゃいませ~」なんて言われても、なんか機械的で私に対してというよりドアが開いたことに対しての「いらっしゃいませ」に聞こえてしまう…。
自分でドアを開けて中に入って「いらっしゃいませ」って言われて、「今日は暑いから開けっ放しでいいよ」みたいな小さい会話をしたいんだよ。自分だけなのかなぁ。

それにそのうち自動改札も――これももともとは人が切符切ってたわけだけど――通るだけでICチップみたいのが反応して金払ったことになって、買い物のレジも同じ仕組みで支払って、ETCなんて既にそうだし、車も近付くだけで鍵が開くタイプとかあったよね。
最終的に自分の意識とICチップみたいのが科学的な何かで結合して店に入るだけで自分の欲しいものが自分の前に現れて、車も目的地まで勝手に進んで、ガソリンスタンドも意思に反応してロボットか何かが何も言わなくても給油してくれるんだよ。
そして指紋認証どころか目で認証するシステムが開発されて、玄関の前にただ突っ立てるだけで鍵が開き、未成年はそれで識別されて酒が買えなくなり、塾をさぼってる子供とかがどこかのカメラを見たときに認証されてサボってるのがバレる。
もう改札口に詰まってる人を見て細くほほ笑むこともなければ、どのレジがすいているか考えることもせず、ガソリンスタンドの兄ちゃんの元気な対応も見れず、鍵忘れて友達の家にお世話になることもないし、いきがって学生が酒飲んだりもできない、たまに気がふれて塾さぼることもできない。
最後に人間の体内に埋め込まれたチップがロボットとかに操られて人類が滅亡!とか奴隷化!

恐い恐い。
今こんなこと言ってもねーよかもしれないけど、段々ゆっくり進化していけば案外すんなり人々は受け入れると思う。便利だし、犯罪予防にもなるし、楽だし、人件費もかからない。いや人類滅亡とかはもうSFの領域ですけど。
いや実際そんなことはないとは思うんですけどね。妥協しつつも途中でそれはやりすぎだろってなって、なんでも自動なんてのはないと思う、理想としては。
でも自動ドアをくぐるたびに、ファミレスでボタン押しただけで店員が来るたびに、学校で出欠確認にカードでピッてするたびにetc…どんどん自動化してるこえーーってなるんですよ。

未だに音楽はCDを買うし、電子書籍なんて絶対やだし、関係ないけどデジタル時計がよく読めない。
あー、きっと私みたいのがデジタルデバイド的なのでおいていかれるんだ。
いや、でもパソコンでブログやって、ペンタブで絵を描き、ゲームっ子…案外生き残れるかもしれない。
ん? もしやすでに自動化の世界に妥協してるのか自分は…恐い恐い。

ではでは。妄想に付き合ってくれてありがとうございます。

ブログ始めようと思ったのは自分の考えを保存しておきたいからです。
じゃあ日記つければ? って思うかもしれないけど人に見てもらえればそれはそれでいいかなっていう。それに見る人は限られているでしょうから。

ブログの名前は邦訳すれば「飛んでいる矢のお漬物」です。ダサいから英語にしました。
日記は過去の自分の保存だからお漬物みたいなものだろうっていう簡単な理由です。
私は自分の日記を読み返しますし場合によっては書き足しますから、漬けた野菜とかの味をみたり味が悪ければ何か足す作業に似てるかな? と。
飛んでいる矢っていうのはゼノンの「飛んでいる矢は止まっている」っていうのから取りました。
飛んでいる矢はその瞬間瞬間には止まっているかもしれないらしいので、私の人生も刻々と進んでいますがその瞬間の断面を記録しておこうという考えです。

毎日更新するつもりはないです。
日常をなんとなく書きたい時、妄想を書きたい時、レビュー書いたり、愚痴ったり
ツイッターみたいな短い言葉では表現できない時にここを更新します。
だから記事は基本的に長文になると思いますがどうぞよろしく。

あ、コメントが来たら返信はする予定です。
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