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ポケモンBWの話ですよ。

予約はしてないし、お金もないからすぐには買えないけどそのうち買おうとは思っています。
噂によると出るポケモンがシナリオクリア前は全部新しいとか…!
シナリオでベトベトンが使えないと思うと悲しいけど、新鮮でいいですよね。
初めてのポケモンはブルーVerでした。出てくるポケモンを全員知らなかったので、すごいわくわくしてたなぁ…。
クリアした時のメンバーも明確に覚えてるよ。ベトベトン、モルフォン、ピジョット、スターミー、ピクシー、フリーザー……ああ、あの頃から御三家は途中退場だったんだなぁ。
本当はポケモンもやるのやめようかと思ってたんですけどね、全部新しいとなるとあの感覚がよみがえるのかーって感じで欲しくなったわけです。
だから未だに御三家すらよく知らないし、情報を極力耳に入れないようにしています。
ま、友人が買うらしいんで嫌でも話聞かされるんでしょうけど^^;

今は親に借金返さんといかんし、早いとこバイト探さねば!

では。
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いやぁ滋賀に行ってきましたよ。サークルでね。
滋賀といっても長浜、近江、彦根あたりで比叡山とかはいってないのですが。

四泊三日という一見矛盾めいた事態は深夜バスということばで理解していただけるかな?
家を出たのは8/31、滋賀にいたのは9/1~9/3、家に着いたのは9/4、ということです。
行きの時点ではどうやって帰るか考えていなかったのですが、まぁサークル解散後にそれとなく名古屋に出てそっからJRハイウェイバスで帰ったという感じ。今朝6時くらいに家に着いて、ひと眠りしてブログ書いてます。
っていうか名古屋かなり都会ですね。渋谷とか目じゃないぜ―、って思いましたよ。渋谷っていうよりかは新宿に雰囲気が似ているのかな? 大人の人が多かったし。

まぁこんなことはどうでもいいので、旅のこといろいろ書いてみるよ!

一日目
朝5時に米原到着、駅のベンチで朝11時までトランプとかやってた。高校生よ、そんな目で私たちを見ないでくれ。

長原城にいく。再現みたいな城の天守閣で涼む。琵琶湖、思ったより汚ない。でかいマンション、景観を壊してます。

あとは仏像めぐり。あまりにもマイナーなので名前を出しても分からないと思う。
サークルは歴史系ですが、私は仏像の芸術性に興味があるのでその点について寺の人にいろいろと聞いてきました。

彦根のホテルに到着。ひこにゃんがいっぱいいて歓喜。コンビニが24時間営業じゃなくてびびった。友達がエロゲやっててびびった。

夕飯ついでに先輩に彦根城の玄宮園に連れてってもらい、水面に映る赤松のきれいさに感動しました。本当に映ってる方がむしろ本物なんじゃないかと思えるほどにきれいだったなぁ…。

二日目
6時半起き。同じ部屋の先輩が起こしてくれた。

安土城跡に行く。エロゲやってた友達が「あづにゃん」っていうキャラを作ればいいとかいってました。
安土城はくそ広い。天守閣跡まで登るのに半端じゃない汗をかいてしまった。あれだけ広くて、石垣高いと火もつけたくなるなぁと納得。
蘭丸とか秀吉とかの家の跡もあって同じ石を踏んだと思うとちょっと感動。

安土関連のミュージアム的なところにいったけど、疲れていてあまりおぼえていないという…。でも当時の食事がめちゃくちゃ美味しそうで嫉妬した。

近江八幡の商人街の風景を堪能。現代日本の景観のつまらなさを改めて感じた。
あと木蔭のありがたさも凄い感じたなぁ。ロープウェイで山を登り、日蓮聖人の祀られる寺にも行きました。

ラストに長命寺。正直ここがなんなのかは知りませんでした。
でも808段の階段を上り下り膝が笑ってしまい大惨事。

ホテルに帰ってから魚民で飲み会のはずが、まさかの年齢確認で失敗。別にいいじゃないかいちいちうるさくなったなぁ住みにくい世だぜー、とか思いながらウーロン茶をたくさん飲む。

ホテルに帰ってから、一年生の女子5人男子5人で飲み直し。このメンバーにまさか自分が呼ばれるとは思わなんだ。
最初は女子一人のドロドロな恋愛話を聞いてた。
私のイメージは女子の間では理知的らしいのですが、ただの酒飲みです、すいません。
思ったよりみんなサークル内で嫌いな人とかがいるらしくびびった。なんか誰のどこが嫌いとか好きじゃないとかそういう話になってしまい、めんどうくさいので抜けだして先輩の飲みに参加したり、他の一年男子の集まりに突入したりしてた。

三日目
湖東三山めぐり。前日の疲れとバス酔いで死にそうになってた。紅葉の時期に来たかったなぁ、っていうかまた来ようと決心。

そしてメーンイベント彦根城。の前に十割そばを堪能、ついでに近江牛の牛すじ煮込みとしじみ汁を頂きました。美味しかった。
ひこにゃんはまさかの週休三日制で月水金はいないとかで会えず…残念。
彦根城の天守閣自体はそんなに大きくないけど、いかんせん高い位置にあるので展望のよさに感動。かなり暑かったですが。
近くの博物館も訪れ、大坂夏の陣の屏風の構図のダイナミックさに圧倒され、あまりに見入ったので友達に置いていかれました。

彦根から米原までバスでいって解散。
あとは上に書いた通り名古屋まで電車で行き、そっから深夜バスで新宿まで帰りました。名古屋でのマックで4時間耐久レースはつらかった。


まぁ、ざっくりこんな感じですね。鮒ずし食べたかった。
いろいろあったけど楽しかったよ。
ではでは。

(ボサボサ頭とやせ、色白が伝われば満足)

ファッションにはあまり気は使わない…とは言っても歩くのは都会がほとんどなのであまりふざけた格好もできない。

服選びはかなり苦手です。無難な黒に逃げがちで、好きな色である赤やピンク系統のワンポイントを入れるのが限界。ジャラジャラしたのは付けたくないし、このくそ暑いのに重ね着なんてもってのほか。
ん~悩ましき夏め、早く終われ! 冬ならまだマシなんだ、重ね着もできるし、長袖は好きだし。

みなさんは好きなブランドとかあるんですかね?
私はアニエスベーってのが好きです。かなり高いから何着も買えないけどデザインはシンプルだし、なにしろ痩せている人によく似合う服が多いのですよ。
ユニクロとかGAPとかも安くていいけど、サイズでしっかり合うのがほとんどないというね。
もともと背が小さいのに無駄に肩幅があるから、小さいサイズだと肩が窮屈。かといって大きいの買うとブカブカ。ウエストもかなり細いから男性用のズボンなんてスキニーでもなきゃ履けないし、でも女性用のって後ろのポケットにかわいい刺繍が入ってたりしてなかなか地味目なのがない。靴も足の幅が狭すぎて男女兼用か女性用しかはけない……

こんな理由で服選びは難しいとかいいつつ、実は買える服は限られていたりします。
あー早く寒くならないかなー。

ではでは。
この夏にやりたかったRPGをたくさんやろう、と思ってたんですが忙しさと経済難のせいでドラクエ6とFF9しかできなかったよ。

昨日から今日にかけての深夜にFF9を全クリしました。
うん、なかなかよかったよ。作られた存在(=被造物、人造人間)を介しての「命」のテーマは今までにもたくさんあるけど、文学にも負けず劣らずだったと思う。ゲームという時点で差別されがちだけどRPGは小説並みに人生を豊かにすると思うんだ。

で、ラスボス戦がなかなか劇的だった。物語を伝える媒体としてのRPGの可能性を感じたぜ。この時初めて感じたわけではないですけどね。
では詳しく…
敵の攻撃で味方全体にいろんな状態異常(即死を含む)をもたらすのがあるんだけど、4人いる仲間のうち3人が死の宣告(一定時間後に死ぬ)になってしまったんだ。FFやってる人なら分かると思うけど、その3人にはすでに命令済みだったので処置する方法もとれなくて残りの一人が頑張らなきゃならないっていう状態になってしまった。しかし、残りの一人に目をやるとまさかの石化状態!(戦闘不能とほとんど同じ)宣告通り3人が死んでしまい、一人は石化、この状況だと戦える人が一人もいないのでゲームオーバーになります。「終わった」っと思ったら死んだはずの3人が復活。「あ、リレイズ(死んでもHP1で復活する)かけてたんだよかった~」と喜んだのもつかの間、敵さんの全体攻撃で無残に3人は再び死亡…。「こんどこそ終わった…」と思ってPSPを床に置いたけど、何故かスムースにゲームオーバーの画面に移行しない。「ん?」と思ったら『転生の炎』の文字とともにフェニックスが召喚されて、死んだ3人が全回復で再び蘇生! 私はRPGやる時はクリアするまで攻略サイトをみない性質だからフェニックスの効果とか発動条件とか知らなかったのも相まって、かなり感動したんだ。しかも召喚ムービーがかっこよくて心を盛り上げてくれるんだな、これが。そのあとで見事勝利を収めたわけです。
(かなり詳しく説明したつもりだけど、FF知らないとチンプンカンプンかも知れません。申し訳ない)

今思い返すとこれはなかなか凄いことだぞ、と思うんですよ。
物語を伝えるの媒体としてRPG以外のものを考えると、本、映画、ドラマ、マンガ、アニメ……などがあげられると思いますが、それらの物語は本なら一字一句、映像なら全てのシーン、が全く同じように読者、視聴者へと示されます(≠伝わる)。捉え方は人それぞれだし、推理小説で後のページを先に見ちゃう人もいるんですけど、それでも与えられたものは明らかに等しいのです。
でもRPG(あるいはその他のストーリー性のあるゲーム)は違うんですよ。それは選択肢によって別ルートがあるだとかそういうこととは違います。これもゲームだからこそなせる技の一つではありますが、めんどくさいにしろ全てのプレイヤーは全てのルートを遊ぶ権利を等しく与えられているわけですから。私が言いたいのは上記のラスボス戦のようなことです。ある程度ランダム性を含む戦闘のようなシーンは物語の一部として、プレイヤーに示されますが、それは等しくはないのですよ。*1
これが物語を伝える媒体としてのRPGの一つの魅力だと思ったわけです。
私のように劇的な勝利を収めた人、苦戦した人、レベル上げをしてから挑み楽勝だった人、初見で倒した人、何回も負けた人、攻略法を見て万全の準備をして挑んだ人、攻略法は見なかった人、それぞれがそれぞれ違う物語をプレイするはずです。この差異は、本や映画における“捉え方”の差異とは全く違う性質を持っています。捉えるには対象が必要不可欠で本や映画における対象は常に不変です。しかしゲームの場合、捉える対象そのものが変化する。*2
話がややこしいのでまとめますが、結論としては、このプレイヤーによって(あるいは、依って)物語そのものが変化する、というのがRPGのいいところだ! ということです。

「いや自明だろ、何を今更…」って思う人もいるかと思います。
自分としても自明ではありました。RPGは人によって物語が違うから楽しい、っていうのはずっと前から漠然と思っていましたので。
しかしまぁ、物語が違う、異なるとはどういう意味なのか、“捉え方”とはどこが違うのか、そういう深い思考はしてこなかったので改めてって感じですかね。じゃあその違いのどこがいいのか? というと他の物語媒体との差異になるから、という答えくらいで、絶対的(相対との反対の意での)なよさはまだ考えつきません、残念ですが…。いつか答えが出ればと思います。
だからいかにもRPGは映画や本より優れているというような感じを受けたかもしれませんが、それは横並びの差異でしかないです。別に優劣をつけたいのではなく、RPG独特の表現・特徴を書いただけ。最近は映画のようなRPGっていう褒め言葉があるけどあれはおかしいよね? っていうふうに私は思います。

長い文読んでくださってありがとうございます。
下に突っ込みを予想しての補足を入れときました、役に立てば幸いです。
ではでは。



*1:厳密にいえば不確定とはいっても限られた確率の中のできごとなので、そういう意味では等しいのかもしれませんが、あまりに膨大な確率の上の現象なので等しくないといって差し支えないと考えます。
*2:変化するといっても、例えば戦闘シーンならば戦闘シーンそのものは等しく与えられているのであって、等しくないのは(変化しているのは)プレイヤーの戦闘に対する姿勢(≒捉えた方)だ。と考える方もいるかもしれません。が、私が思うには仮にそれが捉え方だとしても捉え方によって生じた結果が物語の中に具体的に表れ(物語が変化し)、そしてまたその結果を捉える、というプロセスはおそらくゲームの中にしか現れない現象ではないかと思います
部屋の掃除に丸二日かかるとか終わってるよね。
でも元が汚くないと掃除した気にならないのでこまめにはしないんだよ。決して面倒くさいとかそういうことではない…はず。

今回は世界一受けたい授業で目にしたものを書こうと思っているのですが、「土曜日じゃないか、なんで今更…?」と思った人は、私が掃除の話をした理由を考えればいいと思います。


確か芸術品の修復の話でした。
世界遺産レベルの絵画(壁画)の修復ではベタ塗りせずに、何本も線を引く手段で色をつけて修復するのは何故か? という問題があったのですよ。答えは「修復には手を加えすぎてはいけないから、必要最低限のことしかしないと世界規約で決まってる」(ベタ塗りだと元の作品を上塗りする感覚があるんだと思われます)だったのです。
 ゲストの皆様方は相変わらずのテンプレリアクション「なるほど~」「へぇ~」とかいいながら少しのけ反る、を見せてくれましたが、私としては「むむ…」って感じでした。
 多分この正解を見てとくに違和感なく「なるほどねー」って思った方は西洋的な芸術感覚を持っているんだと思います。逆にちょっとした違和感を感じた方は日本的な芸術感覚を持っているんじゃないかと思います。もちろんどちらが良いとかそういうのはないです。日本人なのに西洋的感覚っていうのは十分にあり得る話なので。あ、あくまで推測ですからちげーよって人ももちろんいると思います。その時は申し訳ない。
 そもそも西洋における建築は石でできていますからその作品の寿命はかなり長いです。逆に日本の建築の基本は木ですから例外はあれど腐るので作品の寿命は短い。そうなってくると作品のオリジナリティーあるいは価値というものが作品の中のどの部分に置かれるかということが推測できるかと思います。
 西洋の場合、長寿命の作品を作れるわけですから永遠を求め、また作品はそれ自体の素材にオリジナリティーが置かれます。だから彼らはボロボロになったパルテノン神殿も、コッロセウムも修復はしても完全にもとには戻しません。対して日本の場合、建築は短命なので作品の素材には価値を置くことはできません。ですから彼らは古くなってきた神社などを改築することに抵抗を覚えません。例えば古くなってきた神社を完全取り壊し、違う場所に同じ建物を建てるという遷宮の概念もここからきています。つまり日本人は作品のオリジナリティーを意匠・デザインに求めているといえます。また余談ですが日本独特のはかなさだとかの美意識もこういうもろいう建築に生きたことがゆえんなのかな? とも思います。
 だから「作品の素材を超えて修復してはならない」というルールを世界基準にするのはどうなの? というふうに私は思ったわけです。実際日本がこのルールに批准しているかどうかは知りませんが、まぁこの話はルールに対する意識の話なので関係ない…はず。

世界基準が西洋基準であることはボーダーレスを謳う現代においてもよくありますから、ちょっと気になったぜ程度の話でした。
 もっともらしいこと言ってそうだけど芸術学においては基本の「き」みたいなものです。ただ、得た知識がたまたまテレビを見ていて役に立ったたりすると嬉しいよね(何
 
あ、日本美術だからといってなんでも作った当時の姿に戻したがるかと言えばそんなことは全くないです。色の剥げた仏像や、また色落ちした源氏物語絵巻を見ても別に元の状態に戻そうとせず、そこに時の無情さや、作品のはかなさを感じる場合もありますからね。おそらく西洋の場合もまた然り。あくまで一般的に、今回においては特に建築に於いてはって感じです。

ではでは。


追記:
書くたびにカテゴリーが増えていくのは仕様…のはず。
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