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今度サークルでボーリング大会やるそうです。
おそらく主催者の趣味的にボーリング→カラオケなのは明らか…。
ただでさえボーリング苦手なのに、その上カラオケとか考えられん。

私がカラオケ嫌いなのは一に歌うのが苦手というのがあります。
「歌うの苦手でも大丈夫だよ。みんな下手糞だよ!」
「歌うのが下手とかww誰もお前の歌聞きに来てるんじゃねぇよ、自惚れんな」
などなど優しい言葉からムカつく言葉までいろいろ言い聞かせてきて、最終的には「歌わないで場を盛り上げれてればいいよ」っていう風になる。
行きたくもないところに連れて行かれ、食べたくもない糞まずい飯を食い、聞きたくもない歌を聞いて、お金を払い、場を盛り上げろ……だと!?
どうしてそんな拷問を受けなくちゃいけないわけさ? しかも大概歌わずにいると後半で「お前もなんか歌えよ。え? 歌わないのノリ悪っ!」とか言って罵倒されるんだ、歌わないでいいって言ったのはお前らだろ~。
てなわけで、カラオケはいやなんですよ。そして罵倒されずにいたとしても何も歌わずに相槌を打ちながら淡々と聞いているのも気まずい、声には出さなくとも私に向けられる微妙に負の感情のこもる視線には気づいてしまう。普段は鈍感だけど嫌なことだらけでいつ歌を振られるのかビビってる状態だと感度が上がっちゃうんだよ。

とはいえ今の時代カラオケはもはや社会的なコミュニケーションツールの一つ。学生、サラリマーン、OL……あらゆる人々はカラオケに行き歌い、交流を深める。そしてこの習慣は文化として海外へと飛び出しKaraokeとして世界で親しまれている…。
しかしここで私は思うのですよ果たしてカラオケがそこまで優秀なコミュニケーションツールなのか、と。それによって実際に交流を深めることができるのか、と。人が数人あるいは十数人集まり、他人の世界とは断絶された閉ざされた狭い部屋で、盛り上がりながらしかし同時に黙々と、歌い歌を聴く。強調したいのは一人が歌うのをみんなで聞くということ。しかもみんなで聞くというよりかはむしろ自分の歌う番を待ってるという印象。マイク、早く俺のところに来るんだっ!って印象。せっかく人がたくさん集まってるのに一人だけが歌い(あるいは数人で歌い)他が聞いているという状況が私には奇妙に、SF的に感じられます。
一人の代表者が前に出て歌う、何かするというのは儀式地味ていて古代からあった習慣のように思えますが、カラオケはむしろそういった互いの立場、垣根を超えるツールのように私は思いますので祭儀などにおける儀式の延長の文化にはならないでしょう。歌う人は代表者ではないですからね、対等な立場として順番に歌うだけですので(世の中には接待カラオケという言葉もあることはありますが)。まぁ、ここではカラオケの起源を探るわけではないですからこの話は終わらせましょう。
私が言いたいのはどうしてそんなに人がたくさんあつまるのに、ひとりひとり順番で歌っているの? ということ。うちの親族の人はあまりにカラオケには行きませんでした、集まる機会があれば大きい和室を一室借りてみんなでばか騒ぎしてたと思います。踊ったり、楽器できる人がいれば弾いてもらったりして…。具体的にいうと沖縄の人たちが「イーヤッサッサ」とかいいながらぴゅーぴゅー口笛を吹いているイメージです。こういう方がいいと思うんですよ、カラオケで陰気に一人で歌ってるのを眺め、盛り上がるより、みんなで歌い、踊ったほうが楽しいに違いない! 私自身一人で歌うのは嫌いですがみんなで歌うなら臆病な羞恥心も消え失せますからね。嗚呼、懐かしき自然教室で炎を囲みマイムマイムを歌い、踊った日…と思いだせます。みんなが集まって何かするのはやっぱり一種のお祭りだと思う、神を祀るわけじゃないけど、こうしてみんなが同じところにいれることの運命を祝ってるような気がするんですよね。繰り返しになりますが、そんな機会を祝う手段がカラオケだなんて…
多分これを読んでもカラオケ好きな人は「いや、聞いてる方も楽しいしw みんなで歌う時もあるしw」って感じかもしれません。しかしやはり私には違和感があるのですよ、せまい空間で一人の歌を大勢が聞き、それが交流を深めるという通説、文化に。

とはいえ現代はみんなが集まり広い空間で大騒ぎするような場所は少なくなっているというのも事実。都会の建物は横よりも縦に大きくなっていき、一つの家に住む世帯数は確実に減り、家族で同じ屋根の下に住むのに二世帯住宅なんていう不気味なシステムある。メディアの叫ぶ近隣住民のコミュニケーション不足は珍しく的を得ていると言えるし、本来時間のある学生たちは早々から就活、またそのための資格取得に奔走する。みんなが集まりそれを祝うためには、もはや空間的にも時間的にも、そして悪いことには環境的にも厳しいかもしれません。そしてこれら厳しい条件の中で生まれたのがカラオケ、狭い空間でほどよい人数で時間料金制、ひとりひとりが個々に持つストレスを歌うことで発散する。社会的な結びつきは希薄ですから、学校の仲間、職場の仲間…そういう狭い人間関係のなかで集まるにはちょうどよかったのかもしれませんねカラオケは。そういう意味では一つの文化と言えるでしょう。文化は人間が自然、社会など自らを取り囲む環境の変化に応じて姿を変えていきますから。でもここで互いのストレスを、苦を、喜びを…共有する文化は失われているように思えます。ひとりひとりが順番に歌うという行為は、相手の気持ち、境遇を自分のことのように考え、感動するという心理を確実に拒絶しています。これはいいことなのか悪いことなのか。個人主義が謳歌されつつも疑問を持たれ、全体主義は戦争の反省から絶対的に批判される、こんな揺れ動く世相を反映しているともいえるかもしれませんねぇ、ひとりで歌うのか、みんなで歌うのか、という問題は。

長い文章読んでくださってありがとうございます。
ではではー。
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